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「日本海」無常の廃止、寝台車終焉の日が現実になってきたが「寝台継続」をあえて訴えたい

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函館駅で出発を待つ今はなき「日本海4号」

客車が青色の「ブルートレイン」として親しまれてきた寝台特急「日本海」(大阪―青森)が、JRの来春のダイヤ改正を機に廃止されることが決まった。利用客減少や車体の老朽化が理由で、旧国鉄時代から続く関西発着のブルートレインは全て姿を消す。(11/18付 読売新聞

「日本海」が来春のダイヤ改正で廃止される。またしても、春のダイヤ改正は寝台列車との惜別の季節になってしまった。正直、「急行きたぐに」が先に廃止され、日本海は再来年あたりかなと予想していたが甘かった。無常、無念のひと言に尽きる。

先日の拙ブログ「江差線・木古内―五稜郭間のバス転換により寝台列車は終焉の日を迎えるか」は多くのアクセスをいただいている。それだけこのテーマに関心が高いのであろうが、ブログの中で、管理人が「日本海」のA寝台に乗りたく、空席を探したが満席であったことについて触れた。現在の平均乗車率は5割程度というが、その週はたまたま混んでいたのか、はたまた廃止の噂が流れていたかはわからないが、個室を連結せずモノクラスのみの古きよき寝台列車の佇まいが好きだった。

日本海は2008年春のダイヤ改正までは2往復態勢で、そのうち1号と4号が函館まで行っていた。管理人は首都圏在住ながら何度か利用させてもらった。下りは東能代から函館まで、上りは函館から秋田まで立席特急券でB寝台が利用できたので(通称・ヒル寝)、「白鳥」をあえて利用せずにノンビリ気分で乗ったものだ。殆ど客はおらず、一両貸切状態であったが、寝台車のヒル寝ももうできなくなるであろう。

日本海にはもうひとつ思い出がある。2003年のことだが道南の方と一緒に富山へ視察旅行に行った時のことだ。道南組は函館から富山まで日本海を利用。管理人は前日に上越新幹線経由で富山入りし、ホテルに泊まったが、函館からの一行が富山に到着するのは早朝の6時前。夜もあまり眠れずホテルから富山駅へ迎えに行ったが、一行は遠足気分で延々と前夜は酒席が続いたようで、ウサギ目状態、こちらもウサギ目であったが、日本海での出張を羨ましく思ったものだ。

それにしても寝台列車の消滅はこの10年で加速度的に進んでいる。道内は「まりも」、「利尻」、「オホーツク」の夜行寝台が健在であったが、今では「はまなす」のみ。それも新幹線延伸で風前の灯である。

昔はよかった的な情緒・感傷主義だけで寝台列車廃止を語りたくないが、単なる効率・経済至上主義で扱ってもらいたくないと思う。寝台車には夢がある。文化的な価値や観光資源としても魅力がある。

管理人は小学生の時、ブルトレ「あさかぜ」の個室に乗るのが夢のまた夢であった。自室のベッドをあさかぜのA個室と想定して、時計を見ながら今は名古屋、神戸と妄想していたものだ。

JR各社にとって、寝台列車は一部の豪華列車を除き、厄介者である。それは理解できるが、消滅させたらA級戦犯ものであろう。

また、高速夜行バスにはない優位性も数々ある。料金が高いという向きもあるが、「あけぼの」のゴロンとシートなどは寝台料金を取らないので、料金的には高速バスと変わりない。

管理人は完全に消えることはないと思っている。しかし、定期列車として残るかどうかは微妙だ。たとえば、観光列車として、道内を周遊するようなツアー旅行型の臨時列車として再登場するかもしれないが、日常性からかけ離れた寝台列車には魅力をかんじない。あくまでも「現役」にこだわりたい。

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