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寝台列車とともにその役目を終えたかに見える上野駅

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3月のダイヤ改正後、上野発着の「北斗星」と「カシオペア」は同じダイヤの臨時列車となり、ほぼ一日毎交互に運転されている。先週末、管理人は上野方面で仕事があり、それが終わり駅に向かうと既に「カシオペア」が停車していた。時間は15時40分、電光掲示板には16時20分発車とあり、まだだいぶ時間がある。あとで入線時間について調べてみたが、15時35分とあり、列車が誕生した頃から変わっていないことがわかった。北斗星乗車90回の管理人もカシオペア乗車は僅か2回であり、それも上野行なのでこの長い停車は知らなかった。

ブルトレのメッカであった13番線ホームは、撮り鉄でごったがえしていると思いきや意外なほど少なかった。時間も時間なので真っ当な人はまだ働いているか勉強しているであろう。さらに驚いたことに半分程度しか個室が埋まっていなかった。発車10分前には現地を離れたので詳細はわからないが、満席にはならなかったのではないか。大型連休も終わった金曜日、カレンダー的には穴場であり、いちばん狙い目だったかもしれない。

この13番線ホームのある上野駅地上ホームは、かつて多くの特急や夜行列車で賑わっていた。しかし、昭和57年の東北・上越新幹線の開業によって大幅にその本数を減らし、のちに新幹線も東京駅発着になったことで上野駅そのものの役割も低下した。最後の砦でもあった常磐線特急も上野東京ラインの開通によって始発列車が激減、今は少数の近郊特急と通勤電車が出るだけでとなっている。カシオペアが45分間も停車できるのも空いているからこそである。東京発の新幹線は清掃が終わり、扉を開けて5分程度で発車してしまうものが多いが、13番線ホームがある地上ホームは悠長である。

管理人はもの心ついた頃から上野駅を見てきた。父の実家が駅前で薬局をやっており、母も入谷方面の出なので半ばホームタウンである。上野に来るいちばんの楽しみは長距離列車を見ることであったが、列車と共に印象に残っているのは、そこで待つ人々の姿である。お盆や暮の帰省時期になるとホームから階段、さらに通路まで沢山の土産袋を抱えた人たちが新聞紙を敷いて並んでいた。出稼ぎがまだ全盛の時代であり、集団就職組も多かったと思うが、その場が日本酒臭くて厭だった思い出がある。モノトーンの世界であるが、昭和57年の東北・上越新幹線の開業前まで繰り広げられていた光景である。

新幹線が開業したことで故郷の匂いが上野駅からいっきに消えてしまった。新幹線は地下ホームから発車するので地上ホームや駅構内からは、かつての猥雑さも失った。そして新幹線が延伸する度にお国訛りも薄れて行った。訛りが強烈だった北東北や山形も線路の延長と時間の短縮とを引き換えに、東京に呑み込まれていった。

管理人は普段、東京駅を利用しているが、最近思うのが、東京駅が上野駅化していることである。以前の東京駅で長距離列車といえば東海道新幹線や西へ向かう寝台列車が大半で、上野駅のように新聞紙を敷いて、列車待ちをしている人を殆ど見かけたことがなかった(昭和39年以前はわからないが)。生活感がない駅であったが、JR東日本の新幹線が来るようになってからは、昔の上野駅に近い喧騒を感じる時がある。以前の東京駅はネクタイスーツ姿が多かったが、駅周辺が再開発で観光化されたことでハードルが下がり、カジュアルになっている。

東京駅ナカの商業施設は賑わっているが、昔の上野駅というと悪臭漂う地下通路に食堂街があり、大きな荷物と沢山の土産袋を持った人たちが黙々と食事をしていた。今の東京駅ナカにはオシャレな店が並び、こちらも知らないような東京土産を買い求めている。新幹線で故郷は近くなり、北へ帰る人たちも垢抜けて、訛りも消えている。しかし、西へ行く新幹線に乗る人たちとは明らかに違う雰囲気が今も残している。管理人の思い込み、ノスタルジーかもしれないが、やはりどこか違う。上野駅にいるよりも今の東京駅に居る方が上野駅を感じてしまうが、そういう意味では上野駅が玄関口としての役目を終えたということであろう。

 上野駅13番線ホームは最後の賑わいを見せていたが、広い地上ホームコンコースはガランとしており、立派な銅像も寂しげに見えた。銅像のすぐ横には、東京銘菓「ひよこ」の売店があったが、土産といえば定番だった時代、輝いていた頃の上野を思い出させてくれた。

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