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はとバスに男性バスガイド登場、ガイドさんの歴史を探る

亀の井バス「少女車掌」(大分県HPより)右昭和9年東京ユーラン乗合広告

はとバスに男性ガイドが今年から登場するという(ハフポスト記事はこちら)。飛行機のCAやパーサーなどは昔から居り、今回、はとバスとしてはジェンダー問題を意識してということもあるであろうが、これまでいなかったのがむしろ不思議であった。話題性もあって人気者になるであろう。

女性バスガイドであるが、最近は大手バス会社が貸切事業から撤退し、ガイドさん自体が随分と減ってしまった。かつてのバスガール(OG)をバイト契約しているところもあるが、男性添乗員などがMC的にやるなどこのままでは絶滅危惧種になってしまう可能性もあった。
バスガイドが女性になったのは、戦後、団体旅行が増え、その中心が男性客であったことや男社会のバス会社の中でお嫁さん要員としての確保などがあったかと思う。かなり過酷な業務であり、以前、読んだ「バス車掌の時代」という本では、バスの女性車掌はお客さんから貰った運賃を懐にしまっていないか全裸での身体検査などが平気で行われていたということが書かれていた。バスガイドにも今ではあり得ないセクハラ、パワハラが行われていたようだ。

このバスガイド、戦前は男性が「案内人」という名前で乗っていた。いかがわしいものも多かったようだが、昭和2年(1927年)に別府の亀の井バスが「少女車掌」という呼称で初の女性バスガイドを誕生させ、それが全国に広まったと云われる。別府観光の父・油屋熊八が考案した遊覧バスは最初の定期観光バスといわれており、七五調の案内は今でも亀の井バス地獄めぐりコースで体験することができる。翌昭和3年(1928年)には、東京にも制服姿の女性ガイドが登場しているが、昭和9年(1934年)の東京ユーラン乗合の広告が手元にある。「婦人案内人付」とあるが、御注意という項目が面白いので抜粋する。『最近東京には皆様を不案内な田舎者扱いにし甘言を以て案内人も附かない不良自動車に乗せ不正な利益を得ようとする者が出没致しますから』とある。当時は乗合バスも中小事業者が入り乱れ参入している時代であり、観光バス(遊覧バス)に於いてもいろいろな業者がいたことが伺える。

戦後はバスガイドは女性の仕事となり、ガイドさんの全国コンクールなども行われ、昭和30年代前半頃は憧れの職業であったようだ。今回、はとバスが男性ガイドを採用したが、昭和35年には同じはとバスが納涼コースに浴衣姿の女性ガイドを登場させている。はとバスは新しい試みを昔からやっていたようである。

変ったところでは、観光地を走る路線バスの車掌にはガイドを兼ねるような男性も乗務していた。有名なところでは全国最長路線であった国鉄バス名金線の佐藤良二さんがいらした。沿線に桜を植樹し、桜路線にしようとした話は有名で映画や舞台になっている。
実は管理人も小学生であった昭和40年代後半にガイドを兼ねた男性車掌に遭遇している。信州・白樺湖から上諏訪駅まで国鉄バスに乗車した際、途中の案内をしていた。このバス、あり得ないのだが途中でガス欠(?)で止まってしまった。その車掌が一般車を停めてガソリンを貰っていたような記憶があるが、いかにも昭和の出来ことである(バスは軽油のはずだが当時はガソリンだったのか?)。

バスガイドは減ってしまったが、はとバスのような人気のあるところでは、今回の男性ガイド登場のように新しい施策が打ち出されている。女性利用者が多く、高齢化社会を迎えている今、ムード歌謡アイドルの純烈のような隣のお兄さん的な感じの男性ガイドがいれば女性客の支持を得られるであろう。

かつてクラリオンがバス会社向けに発行していた「BUS GUIDE」(1995年)

 

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