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祭りでわかる分断化されたマチ・夕張市

夕張の夏を彩る「ゆうばり夏まつり」(同実行委員会主催)が今年初めて同市清水沢地区で開かれることが3日、決まった。従来、観光行政が市の北部に偏っているとして清水沢地区の住民から批判があったことに配慮。市が財政再建団体への申請を決めた後だけに、夏祭りで市民の心を一つにし、「夕張再生への第一歩」にしようとの思いを込めた。(北海道新聞)
夕張が財政再建団体になり、実体が次々に明らかになってきた。概ね想像通りだがチェック機能が無いに等しく、大勢翼賛的な市制が20年以上続いた結果が650億円という借金である。
夕張市民の肩を持つわけではないが、マチのことよりも自分の生活のことで精一杯であったのであろう。そう考えるとここまで放置しておいた道や国の責任も大きい。
今後、最悪、市から町への降格も考えられる。
夕張はマチがいくつかに分散されていた。これは夕張市内に多くの炭鉱があったが、炭鉱ごとにそれぞれマチを形成していたためである。市役所や石炭の歴史村がある本夕張地区、清水沢・真谷地地区、新夕張地区、大夕張地区(南部・大夕張)などいくつかに分散していた。また、本夕張と清水沢はホクタン、大夕張は三菱と企業(財閥系)ごとで城下町を形成していたところだ。そのため地域間の交流が少なく、結果、主流であり、最後まで石炭を掘り続けた本夕張地区に観光施設などが集中したのであろう。
夕張市民はひとつの夕張という発想に乏しかったことが、今回の破綻の遠因になっているのではないか。
好きな鉄道紀行作家であった故・宮脇俊三さんが夕張を愛されていた。その作品のなかで「夕張くうばり坂ばかり、ドカンときたら死ぬばかり」という夕張に伝わっているフレーズが紹介された。
なんとも刹那的で悲しいコトバだが今度こそ明確に未来を見据えた再生を願いたい。

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