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道東名物の霧笛が来年3月に廃止 ここでも昭和の記憶が消える

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写真:釧路崎灯台 霧の日&夜間

「ボー」「ボー」。暖流と寒流がぶつかって夏に濃霧が発生しやすい道東の太平洋側で、音で船舶の安全航行に大きな役割を果たしてきた「霧笛」が姿を消そうとしている。海上保安庁が07年度から3年計画で「霧笛」を発信してきた霧信号所の全廃を進めており、道内にある7カ所の霧信号所も来年3月末までに消える。(5/3付 毎日新聞北海道版)

連休中、通常ならアクセス数が大幅に減る時期だが、カウンターを見ると1日あたり2千と大幅に増えている。この1ヶ月、更新をサボっており、どうしたのかと調べてみたら2月に続いて、ヤフーニュースで拙サイトが紹介されていた。
内容は『<霧笛>役目終え姿を消す 3年計画で信号所全廃 今年度中、道内7カ所も』。2年ほど前に「霧町・釧路から霧笛が消える」というタイトルでブログを書かせていただいている。
霧信号所は、1968年には全国に53カ所(道内は28カ所)あったが、いまや全国で8カ所を残すのみらしい。2年前の記事では、国内16ヶ所、道内10ヶ所だったので、霧笛は急速に消えようとしている。
現在、道内の霧信号所は、、納沙布岬灯台(根室市) 、花咲灯台(根室市) 、落石岬灯台(根室市) 、湯沸岬灯台(浜中町)、 十勝港(広尾町) 、日和山灯台(北海道小樽市) などで、釧路港霧信号所は既に廃止され、釧路埼灯台で検知している。
釧路へ行くと霧笛とカモメの啼き声で目覚めることがよくある。霧笛を聴けば、ホテルの部屋のカーテンを開けなくても、概ね天気の察しがつく。そして、旅情をかんじさせてくれる。
今回の廃止は、レーダーやGPSの発達によるものだが、霧自体の回数も道東では減っているらしい。道東に限らず、東京でも霧は滅多にお目にかかれなくなった。管理人が小学生であった昭和40年代は銀座や日本橋を歩くとよく霧が出ていたものだ。
霧はロマンの象徴なので昭和30年代の歌謡曲では霧をテーマにしたものが多い。「夜霧の第二国道」、「霧子のタンゴ」、「哀愁の町に霧が降る」、「霧の中の少女」、「夜霧のエアーターミナル」など都会的なムード歌謡にはよく登場している。そういえば和製ジェームス・ディーンと云われた赤木圭一郎の代表曲に「霧笛が俺を呼んでいる」があったっけ。
釧路を舞台にした原田康子の小説「挽歌」や「海霧」は、釧路をロマンと哀愁の街として昭和30年代前半に全国区に押し上げた。ちょうど霧をテーマにした歌謡曲が流行ったのと同時期なので、当時は霧ブームだったのか。実際に霧が今より多かったのであろう。
ロマンチックな印象の霧だが実際は傘がなければ髪の毛は濡れるし、クルマを運転すればフォグランプでもよく見えない。道東太平洋側のクルマはすぐに錆付くので、高く売れないなど雪よりもタチが悪い面もあるが。
霧の減少と共に、奇しくも灯台からの霧笛が消えてゆく。灯台などの建築物は産業遺産として残してもらいたいものだ。

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