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今夏も不調な大学生の旅行、想像力とリアリズムを剥奪する旅をしない若者たち

これまで大学生の旅行離れについて何度か書いてきた。今夏も予約は低調であり、道新記事によると「7月下旬から9月は長い夏休みで、海外旅行には好機だが、道内の旅行会社への申し込みは低調だ。かつてはリュック一つで海外を放浪する学生も少なくなかったが、不況の影響に加え、男子を中心に、準備の煩わしさや異国でのトラブルを嫌う現代の学生気質が大きく影響しているようだ。」とある。また、旅行者の多くは、「大学時代に海外旅行の魅力を知った40~50代が中心で、大学生の動きは鈍い」。
つまり盛んに旅行をした管理人世代は旅に出るが、30代以下は旅に出ない。せいぜい出ても疲れを取りたいという理由で1泊の温泉旅行だ。その原因については複合的であり、長くなるので省略するが、先日、若い頃に放浪をしていたという道産蕎麦と鴨料理が旨いそば屋主人とこの話題で盛り上がった。
そば屋主人はアラフィフ世代であり、10代から20代は各地を放浪。ユースホステルの居候を続け、お金ができれば次の旅をするという暮らしを何年間も続けたという。その目的について質問をすると、ひとこと「自分探し」と言った。外へ出て、ナマの出会いを多く体験することで見えないものが見えてくる。そして、からくりも解けてくると述べられた。まあモラトリアムと言ってしまえばそれまでだが、過去の多くの若者はそうやって大人になっていったはずだ。
きっと今の若者は情報が多すぎるので、すべてが現実に体験したような錯覚に囚われて、行動半径が狭くなっているのではないかという話になった。たとえば旅の情報はネットがあればすべてがわかってしまう。しかし、それは「情報」であって現実ではない。そこに大きな落とし穴があるような気がする。
実は管理人はマニュアル世代・新人類と呼ばれた頃に育っている。事前に情報を収集することにより、旅やデートでは完璧をきそうとしたものだ。しかし、現実は甘くなく、見込み違いや失敗の繰り返し、恥をかくことで学習してきた。情報世代ではあるが、あくまでもそれは「準備」のためのものであり、今の若者のように投稿動画やライブカメラでそこへ行った気になり、何もしないのとは次元が違うような気がする。
今の時代、情報の多くは無料だが、以前はガイドブックやマニュアル本を購入するなど多くが有料であり、自発的に動かなければならなかった。投資が必要であったが、お金をかける分、貧欲となる。時間的ロスも多かったが、ナマの体験をすることによって裾野が広がって行ったような気がする。既に当時から、いかにもそこへ行き、見聞きしたような情報丸写し人間はいたが、それは見栄に近いものであり、そのあたりも今と異なる。
情報が蓄積され過ぎると錯覚も生じて、選択が出来なくなってくる。食べなくても満腹になったような誤解が生じて、行動も鈍くなる。若い頃は将来の自分がすべて見えたような錯覚に陥ることがあるが、それは数少ない実体験からくる解析と外部情報からのものであり、実際ではないのだ。やはり、ナマで経験をして、数をこなしてゆく-リアリティに欠けているのが今の若者であると思う。情報過多はリアリズムを剥奪し、想像力も奪ってしまう。
旅行はそれを会得するのには絶好の機会であり、健康的な想像力を醸成できる。遠くに行かなくていい。鈍行列車を乗り継いで、旅に出たり、里帰りをするだけも普段見えないものが見えてくるはずである。寺山修二が「書を捨てよ町に出よう」と云ったが、たまには情報を捨てて、旅に出るのもいいのではないか。

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