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北海道ローカル路線バスで行く秘境旅 『てんてつバス 留萌-達布』(後編)

昨年12月に書いた「北海道ローカル路線バスで秘境旅 てんてつバス留萌-達布」の後編です。だいぶ時間が空いてしまいましたが、前編はこちらから
てんてつバス乗車から10年が経過してしまった。その間、時間がないとか興味がなくなった訳でもないが1997年から1998年にかけては、ダム工事で大夕張の集落が水没してしまうと訊き、1年間に3回も美鉄バスが走る夕張などに撮影などに行ったいた。てんてつバスは当面は安泰そうであったので、優先順位が低くなってしまっていた。
だいぶ時間が経過した平成18年(2006年)秋、10年ぶりの達布行きを決行した。
問題はバスに乗ると現地での行動が制約されることである。下のバスダイヤを見ていただきたい。一日4往復だが、達布発の最終が何と13時40分なのだ。
ダイヤ:
留萌  達布   留萌
815  918 700  805
1210 1315 800  905
1550 1655 1000 1105
1830 1933 1340 1433
前回は留萌1210発に乗車、達布の滞在時間は僅か25分であった。留萌815の始発に乗ると10時発まで1時間45分の滞在が出来る。1340発なら6時間以上滞在が可能であるがこれは長すぎる。やはり始発しかないか。しかし、始発に乗るには留萌前泊になってしまう。達布宿泊という裏技もあるが、あの朽ち果てた紅屋旅館がやっているのか不明であるし、あの建物に泊まる自信はない。
また、選炭所などがあった施設は達布のバス停から更に1,2キロキロ先にあることがわかったため、現地では最低でも1時間半程度の滞在時間は欲しかった。
昭和40年代の北海道時刻表を見ると達布学校より更に奥、滝下10線、滝下15線、東和という10キロ奥までバスが入っていたことがわかった。もし、集落が残っているのであればそこにも行ってみたくなった。ちなみに昭和43年の交通公社時刻表で調べると今の倍の8往復のバスが走っている。
それもそのはずで、当時の人口は達布地区が1095人(S46年)いた人口が 平成20年には169人に、滝下地区では153人が13人に減少している。また、昭和35年、鉱業従事者が1150人いたが平成11年には11人に減少している。
ちょっと待て、天塩炭鉱は昭和41年に閉山したのではないか?その11人とは。このナゾはあとでわかる。
結局、てんてつバスに乗車しての達布行きは諦め、レンタカー利用という”裏切り行為”に出た。路線バスに敬意を表して、留萌までは札幌から雄冬経由のバスで行くことにした。910発「日本海るもい号」に乗車、1992年に札幌から雄冬行きの特急バスに乗車したことがあるが懐かしい路線である。1998年にも増毛から札幌まで乗車したことがあり、高速道路を走らない長閑なお気入りのバスルートである。
レンタカーは留萌駅の駅レンタカーで借りることにした。鉄道利用者や観光客も少ない留萌で駅レンを借りる人などいるのであろうか。電話予約のみであったが、駅には自動車はまだ到着していなかった。トヨタレンタと契約しているようだが、駅員さんが慌てて連絡をしていた。予約はちゃんと入っていたようだが、何かのミスがあったようだ。以前も道内のローカル駅の駅レンで予約が入っておらず閉口した思い出がある。
留萌からはすぐには達布に向かわずに留萌線の深川方面へ戻り、恵比島駅をスタートとした。この駅はかつて留萌鉄道という炭鉱鉄道の始発駅で、10年前には朝の連ドラ「すずらん」の舞台となり、明日萌という駅名で登場したことを覚えている方も多いであろう。
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旅のスタートは恵比島駅 朝ドラの「明日萌」駅として一躍観光地に
実はこの駅、20年ほど前から気になっていた。駅前は閑散としているが、駅前旅館痕らしき建物があり、駅前はひょっとして商店街ではなかったのかという面影があった。留萌鉄道の炭鉱跡にも興味があったので2度ほど立ち寄ったことがあったが、まさかこんな観光地になるとは驚きであった。確かに、当時から昭和初期のセットのような佇まいであった。
しかし、今はブームは去り、SLも走っていない。駅前の土産物兼観光案内所も開店休業であった。ふたたび、もとの恵比島に戻ろうとしている。
この恵比島を起点に達布へ向かう。
途中、幌新温泉という立派な公共の温泉宿を通り、暫く走るとダム湖が見えてくる。ダム湖に沿って走るがそのダムにはかつての炭鉱跡が沈んでいる。以前、炭鉱があった新雨竜や浅野には最盛期4千人以上の人口を数えたが今は誰もいない。ダムの水位が下がるとかつての建物が見え、また、無人の廃墟となっている炭住アパートや、学校、病院、全国的にも珍しい隧道マーケットなどが残っているらしいが今はどうなっているか知らない。もし、残っていてもとてもひとりでは入れるような場所ではない。
ダム湖の湖畔には当時の住居跡などを遺した記念碑があるが、それ以外瘢痕は見えてこない。ここは古河鉱業の炭鉱であったが、北海道とはあまり縁がなかった会社で、社風もあるのかあっという間に消えて行ってしまった炭鉱だ。
そこから何もない道を進むと達布キロ、小平キロの標識が見えてくる。そして、露天掘りの炭鉱が顔を出す。「吉住炭鉱」という看板がある。平成11年の炭鉱従事者11人とはこの炭鉱にはたらく人であろうと想像する。
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今でも露天掘りを行なっている炭鉱(達布地区)
達布には恵比島から1時間もかからないで到着をした。
集落は10年前と比較をして、明らかに更地が増えており、何軒かあった商店も殆どなくなっていた。あの駅前旅館(紅屋旅館)も消えて、更地になっていたが食堂が一軒営業しているようだ。
先に天塩炭鉱へ向かってみた。
道路左手にホッパーがすぐに見えてきた。その脇の未舗装の路を入ると選炭場があったと思われる場所だ。コンクリートの瘢痕が二つ残っている以外は何もない。記念碑的なものを一切なく、静かに時が経過していた。天塩炭鉱の瘢痕はどうもここだけのようだ。
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天塩炭鉱ホッパー跡 数少ない遺構である
車をかつての、てんてつバスが足を伸ばしていた滝下地区へ向かわした。このあたり長閑な農業地帯。メロンを作っている。畑には無造作に捨てられ、作業小屋になっていた「てんてつバス」車両2台を発見した。さらに進むと「おびらしべ湖」という大きな人造湖が出現する。
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人口 人のた滝見地区にあったてんてつバス廃車 作業小屋に使われていた
滝見大橋という立派な橋が架かっており、このあたりから先は人はいないようである。かつててんてつバスが走っていた「滝下」地区は確認できたが、終点の「東和」はどのあたりかわからなかった。
炭鉱跡から滝下地区、ダムと30分程度で見学が終えてしまい達布へ戻る。
先ほど営業をしているのを確認した「寿食堂」の前に車を停めた。昼食にはありつけないと思っており、コンビニで食料を調達していたがこの食堂に入らない手はない。中へ入るとけっこう客がいる(3組程度だが)。工事関係者であろうか。
食堂の前を通る県道は霧立峠へ向かっており、もし名寄方面から車で来れば途中店はなさそうだ。小平方面から入ってもここまで商店はない。「寿食堂」は駐車場はないが、ドライブイン機能を果たしている訳だ。オーダーしたのはシンプルにラーメン。周囲が注文していたからだが正統派のしょうゆ味。悪くない。こういう名も無い食堂のラーメンは大当たりする時がある。
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達布集落唯一の飲食店 寿食堂
外へ出るとてんてつバスの車庫や営業所と10年ぶりに再会。この営業所は天塩炭鉱鉄道時代のものらしく、中に入ってみると当時のものであろう乗車券を収納する木箱(?)などがある。50年前に完全にタイムスリップしている。
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てんてつバス達布車庫とタイムスリップしたようなバス営業所内
停留所からは13時40分発の最終バスが既に出発していた。車庫にバスは停まっているが明日の7時まで留萌行きのバスはない。通学と通院(買い物兼)を目的とした典型的な過疎集落のバスダイヤである。周辺にはセイコーマートもなく、このバスを見逃すと町へは出られないのだ。
達布の人口は百数十人、途中、かつて鉄道駅があった沖内、住吉など併せても3,4百人であろう。沿線の多くがマイカー利用者であろうし、いつまで存続できるのか。
あらためて、このバスは残っているのが不思議だ。炭鉱鉄道時代から経営者も変わっていないのか、住民への誠意ともかんじる。産炭地なので補助金が今でもあり、路線維持できているのであろうか。ここまで来たら、人口がある限り、走り続けて欲しいと願う。
また4年が経過した。
昨年あたりから「道内時刻表」からてんてつバスダイヤが消えている。
まさか廃止かと思ったが、時刻表自体のリストラか、生活路線バスの掲載をやめてしまったのだ。てんてつバスHPには「達布⇔留萌路線 毎日運行中」とある。ダイヤも全く変わっていない。
達布地区は整備が進み、変貌してしまったようだが、何と「たっぷり館」という温浴施設が出来ている。滝下地区に湧き出る鉱泉水を利用した温泉だ。温泉と訊いて、また達布に行ってみたくなった。
てんてつバスは今日も走っている。

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