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北海道ローカル路線バスで秘境旅 釧路駅-弁天ケ浜(たくぼく循環線)「啄木と挽歌の街を行く」くしろバス 後編

ところで、ここまで来る途中のバス停の名前が粋である。幣舞橋を渡ると、「啄木通り」・「小奴(こやっこ)の碑」・「啄木ゆめ公園」・「休み坂」・「波止場通り」・「米町公園」と続く。このバス停名称は2010年現在のものだが、以前は違っていたような気がする。寂れた通りを啄木で売り出そうとしているのかもしれない。

米町の交差点を曲がると寺町となり、「釧路崎灯台」のバス停がある。灯台へは寺の横の急坂を登らなければ辿り着けない。実は灯台の下は断崖絶壁、太平洋が眼前まで迫っている。真下は狭い砂浜だが何とここを鉄道が走っている。

先ほど通った米町をバス路線とは反対側の海岸(知人岬)方面へ行くと、国内唯一の海底炭鉱「太平洋炭鉱」(現・釧路コールマイン)がある。釧路崎灯台下の崖から見下ろすと右側に貯炭場があり、石炭の山になっている。ここと春採の海底炭鉱・採炭場を結ぶ貨物列車・釧路臨港鉄道が今でも走っている。

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左・釧路崎灯台 右・灯台の真下にある釧路コールマインと炭鉱鉄道

わたしがこの場所を知ったのは、釧路初訪問から数年した後だが、霧がかかっていることが多く、霧笛が響き渡っていることも多い。また、夜にここを訪れると、クルクルと回転する灯台のサーチライトが幻想的であった。この場所も何度も訪れているお気に入りだが、これまで観光客はおろか地元の人にも会ったことがない隠れスポットだ。

ここの霧笛はGPSなどの発達もあり、2009年限りで廃止になってしまった。炭鉱の方も一度、閉山が決定したが、2002年に採掘を再開。アジアからの研修生を受け入れて、炭鉱技術を教えている。国内唯一の貴重な坑内掘削型の炭鉱である。また、霧笛も保存が決まり、MOOの対岸にある旧「くしろ地ビール」に保存されると聞いた。

「釧路崎灯台」から少し行くと終点・弁天ケ浜だ。バス停の前は太平洋。道路もここで尽きるが、海岸へ出るには先ほどの炭鉱鉄道の踏切を渡らなければならない。炭鉱鉄道は今では一日2往復程度しか走らないようで、もし列車に遭遇できたらラッキーかもしれない。私はこの踏切が閉まったのを一度しか見ていない。

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左・弁天ヶ浜の踏切を通る炭鉱鉄道 右・釧路崎灯台から炭鉱鉄道と選炭場を見下ろす

ここにも啄木の歌碑があり、「 さらさらと氷の屑が 波に鳴る 磯の月夜のゆきかへりかな」とある。碑の周囲はハマナスで覆われており、秋風が吹き、赤い実が腐り始める時期に訪れると、旅情をかんじる。この弁天ケ浜と釧路崎灯台、米町公園は釧路を訪れると必ず寄る場所である。

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弁天ヶ浜終点風景 以前は米町行きと表示されていた

バスはここで折り返すので暫く停車をする。周囲にはマンションなどもあり、数人の乗降客はいるが、終着バス停に相応しい場所である。以前はここでバスは同じ道を戻ったが、最近は「たくぼく循環」という名称に変わり、南大通から見ると急峻な丘の上に見えた住宅街方面を立ち寄り、途中、花時計のロータリーで合流するルートに変更になったようである。

今は静かな住宅街になっている終点バス停だが、昔はこのあたり遊郭があったようで、30年近く前まではその名残を示す古い旅館があったらしい。

米町から住宅街方面へ入ると、かつての遊郭街・浦見町があり、「しゃも寅」の井戸という名水があった。浦見・米町地区には所々に水が湧き出ており、江戸時代には飲料水や地酒の醸造にも利用されたらしいが、この付近には料亭「しゃも寅」があり、それ以後「しゃも寅の井戸」と呼ばれてきた。明治41年に釧路新聞社の記者として赴任した石川啄木が、料亭しゃも寅の芸妓・小奴と情交を深めたことでも知られる。 このあたり、かつては定期観光バスのルートにも入っており、観光スポットのひとつ。現在も井戸水は湧き出ているが、飲用はできない。

弁天ケ浜行きくしろバス。今は「たくぼく循環」となり、この浦見町界隈も行きか帰りのどちらか通る。確かに啄木に縁のある場所を周っている。というより、この南大通から米町全体がかつての中心街であり、啄木がはたらき、そして小奴などど遊んだ場所なので自然と集約されているのであろう。

またこのあたり、小説「挽歌」の舞台になっている。昨年亡くなられた原田康子さんの原作、昭和30年代初頭の社会現象ともなったベストセラーだ。

原田さんはマスコミに殆ど登場しない作家だった。また、作家歴の割には作品数も少ない。作風同様、神秘的なイメージがある方だが、わたしが名前を知ったのは1990年の釧路旅行時、ちょうど原田さん原作で原田知世主演の「満月」が上映されていた。それもきっけとなり、かなりの長編「
挽歌」にトライ。フランスのサガン登場時と共通する瑞々しさとロマンチズムがあったと何かに書いてあったが確かにそうかもしれない。

だいぶ前にビデオで「挽歌」(昭和32年作品 五所平之助監督)を見たが、当時の釧路の町はとても日本とは思えない。原野に一本道、まるでロシアか北欧のようで、映画の中でも霧が多く登場する。50年代フランス映画のような日本なのに異国情緒ある作品である。釧路の広大な風景と当時としてはモダンな家とインテリア、そして何といっても主演の久我美子が原作のイメージを厳守している。映画のなかで久我の実家が南大通の急坂から登りきった丘の上にあったようだ。相生坂と云うが、挽歌坂ともいうらしい。

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ロータリー前から登るいちばん幅が広い出世坂と映画「挽歌」主役の久我美子

原田康子さんは「髪が長く、ガリガリに痩せていること」ことが女学生・兵藤怜子役の絶対条件にしたらしいが、久我はそれにピッタリであったので安心したという。当時、人気急上昇のオードリーヘップバーンをかなり意識し、トレンチコートに黒のタートルネック、同じく黒のパン ツにローファーは今見てもカッコいい。また、煙草をふかすシーンがあるがこれもきまっていた。また、玲子と恋仲になる中年建築家・森雅之が素晴らしい。わたしはこの俳優が大好きだが、日本映画史上これだけ品のある人物はいないと確信している。なお、この作品の衣装担当は森英恵さんで音楽は芥川也寸志という豪華版である。

話がそれたが、挽歌の舞台もまた「たくぼく循環」周辺である。釧路の旧市街は時が止まり、過去をそのまま引継いでいるように思える。小樽のような歴史的建築物は少なく、かつての栄華を知るすべもないが。

わたしは20年間釧路の街を歩いてきた。その間、中心街の閑散化は加速度的になっている。ドーナツ化減少により、北大通にあった商店の半分近くはシャッターを閉め、廃業したか、新しい商業地となった郊外へ移動している。戦前からあった老舗百貨店も札幌の大手デパートに買収されたがそこも閉店。入るテナントもなく、既に数年が経過している。20年前訪れた南大通が今や北大通になっており、衰退が止まらない。

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廃業後4年以上が経過したが新しい入居者が見つからない丸井今井跡

釧路はかつて日本一、一人あたりの飲食店の数が多い都市といわれていたが、スナックも減り、大型キャバレーもなくなった。今では空っぽのテナントビルや空き地が目立ち、ホステスさんの姿も激減した。1992年頃まではチャイナドレスを着たホステスが古ぼけたキャバレーの前で呼び込みをしており、「銀の目」、「香港」などという大型店が残っていた。釧路のそのキャバレーは昔、大成功し、札幌へ進出。ススキノに「エンペラー」という日本一巨大なキャバレーをつくり、毎晩一流芸能人のショーが楽しめたが数年前に閉店。その会社も倒産し、今は外資系ホテルとなっている。

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左・1992年頃まで営業をしていた「銀の目」と「香港」 右・めっきり店と客が減った飲み屋街

炉端焼き、ざんぎ発祥の地と言われているが、どこか不器用な印象の釧路。隣の十勝とはあまりにも気質が違い過ぎる。

初めて釧路のホテルに泊まった夜、フロントに人に飲み屋を紹介してもらった。わたしは居酒屋を訊いたつもりでいたが、フロント氏は「社長のボトルで呑んで下さい」とスナックを紹介した。考えられない話だが、朴訥とした人のよさが釧路人の魅力である。 霧と澄みわたった空と夕陽、両極端な天候を持ち合わせており、それは釧路人の気質のようにもかんじる。人なつっこくて繊細さと粗雑さの両面を持っているような気がする。

釧路の原点を体験できる路線バスが弁天ケ浜行き(たくぼく循環)である。釧路駅から僅か15分の距離、歩こうと思えば歩ける距離だが、釧路で滞在する時間があれば、是非この路線バスに乗っていただきたい。特に終点・弁天ケ浜の寂寥感がたまらない。眼の前は太平洋と海岸に沿うように走る殆ど来ない炭鉱鉄道の線路。いつも波の音だけが聞こえてくる。わたしにとってはとっておきの「秘境」でもある。

■くしろバス たくぼく循環線

釧路駅から内回り・外回りが約20分間隔で運転 弁天ケ浜までは所要15分 200円

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