2004年のちょうど今頃にブログを中心にした「北杜の窓」を開設してから丸13年が経過した。
その頃の私は道内でまちづくり関係の仕事を始めたばかり、それまでの15年以上は北海道ファンとして80回以上、旅行者で訪れていたが、2002年に会社を辞めて独立、PRとマーケティングを中心にした個人企業を立ち上げた頃である。当初のクライアントは乗換案内などのナビ関係や宿泊予約サイト、それ以外のソフトウエア企業などIT関係が中心であったが、交通や観光・旅行などいちばん好きな分野とのお付き合いが増えて行って頃である。
ちょうど知合いの経営コンサルの方から北海道の地域ブランドづくりとその情報発信をやってみないかという話が来たのが仕事での北海道との出会いである。最初はその経営コンサルの方が現地でプレゼンする資料を私が代わりに制作、そのウケがよく、考えた本人を呼んでくれとうのがきっかけである。
当時は道内観光が落ち込んでいる時期で、団体客やスキーツアーなどが減少、団体客依存から個人旅行へのシフトが求められていたが、現実はかなり乖離していた。
特に格安パックツアーが全盛で、たとえば早朝の羽田を出発し、千歳からその日のうちに阿寒湖まで、翌日は知床など観光をして層雲峡へ、最終日は富良野から札幌も巡り、最終便で帰るといった具合に、だいたい2泊3日で3万円以下のツアーが幅を利かせていた(今でも数は減ったが閑散期に見かける)。
現在では違法だが1日4,5百キロ貸切バスで走るといったのが当たり前で、観光シーズン以外はそれで食いつないでいるといった状態であった。
典型的な物見遊山の旅であり、点から点へのお決まり周遊型のため、目的地以外の場所ではお金も落ちない。車窓からハッとするような景色に巡り合えても無印ノーマークの場所に降りることはなかった。
観光の質を変えることはできないものか。そのために提言できればというのが、北杜の窓をつくった大きな理由であった。
具体的には連泊型の滞在型観光へのシフト、観光地ではないが原石のような資源を持っている市町村の発掘とそのPR、滞在と連携した地域との交流や体験型観光(あまり好きな言葉ではないが)の充実などを考えていた。
また、基本、首都圏在住(鎌倉市)なので距離を置いて、客観的に北海道を見ることが出来るので、近くにいると気付かないことや意外な魅力などを発信できればという思いもあった。
その間、いくつかの自治体や団体から仕事のオファーがサイトを通じて来るようになり、ある程度のミッションは遂行できたのかなと思った時期もあった。たとえば自ら実践していた釧路市での夏季滞在が思わぬ形でプロジェクト化され、陽の目を見るようなこともあったが、しんどいことの方が多かったというのが率直なところである。
あれから13年が経過、今は表面的にはインバウンドの恩恵で宿泊施設などはあの頃より潤っているところも多いかもしれないが、格安パックツアーの頃と同じ内容をアジア系観光客が踏襲。国内客は減少傾向が続いており、こちらが訴えてきたリピーターづくりや新たな観光スポットの発掘、滞在型や体験交流型観光などは皮肉にも外国人の方が先行しているという予想しない結果になってしまった。以前、「自然、素材は一流、サービス、加工は三流」と云われたが、インバウンドによって改善されているかもしれない。
ニセコの発展などはその典型であろうが、この13年間、北海道観光の本質は国内客に関していうとあまり変わっていない気がする。今はアジア系で食いつないでいるが、その先は読めない。
私も50の坂を越えてだいぶ齢を取ってしまった。一時期、札幌にオフィスを構えた時期もあったが、2009年頃から体調が不安定になってしまい道関係の仕事量も減少。スポット的なものは引き受けていたが、渡道の頻度も減ってしまっている。
最近はもっぱらfacebookの方で情報発信をしているが、だいぶ心身共に戻りかけている昨今。web版の更新が滞っていたが、これからもボチボチ書いて行くつもり。
初期からの読者もそこそこいるが、これからもお付き合い願えればありがたい限りである。