1970年代パリーグ暗黒時代の話をしよう ファイターズ編(2)「最初に自社CMに登場した選手は」

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最初に自社CMに登場した選手は
これまで多くのプロ野球選手が親会社CMに出演してきた。ファイターズの場合、球団誕生から34年が経過するが、CMに登場した選手は意外と少ない。最近では新庄、小笠原、ダルビッシュ、稲葉、森本など自社CMのほかにも出演しているが、以前、特に70年代から80年代にかけて日ハム製品CMに出た選手は微々たるものだ。あの大沢監督でも出ていないのではないか。
ところで最初にCM出演した選手は誰であろうか。木田勇?「ブー」である。記憶に間違いがなければ木田の前に出演した選手はゲーリー・ジェスター内野手である。誰、それ?
ジェスター(背番号3)は、1975年1シーズンのみ在籍している。経歴はウイッキペディアによると、「サンディエゴ・パドレスを経て1975年に初の外国人野手として日本ハムに入団した。一塁以外のすべての内野を守れる事がキャッチフレーズで二・三塁と遊撃で130試合に出場したが9本塁打45打点、打率.242と主砲としての活躍を見せられず、同年オフに解雇され、大洋に移籍した。」とある。日本での通算成績は、試合256 打数888 安打212 本塁打27 打点82 打率.239 。
このジェスター選手、セカンドやサードを守っていた記憶があるが、打撃が非力という印象であった。それでもCMに登場するとは期待の大きさの表れであろう。CMは、日本ハム「牛ふりかけ」(多分、こんな商品名)で、ユニホームを着たジェスターが、お茶碗と牛ふりかけを持ち、「この味、ベェリーギュウね」と日本語で駄洒落を言うつまらないCMであった。今ならエドはるみか。
ジェスター選手は、プレーよりもこのつまらないCMの印象の方が強い。ファイターズ創設時は全く使えない外国人選手に泣かされたものだ。当時、珍しかった外国人投手をよく補強していたが、レイ、ケキッチ、カルバーなど散々な出来で泣かされた。中でもスノーという投手は契約金だけ貰い、シーズン当初に逃走して永久追放になっている。そういう意味でもジェスターはファイターズ初の外国人野手であり、親会社の期待があった。このダメ外国人については、次回詳しく書きたいと思う。
なお、このCMに関してネットで調べたが、全くひっかからない。記憶に間違いがなければ、親会社CMに最初に登場したのはゲーリー・ジェスター選手である。誰かこの選手とCM覚えている人いませんか。

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