札幌・ススキノを中心に飲食店を展開する青木商事(釧路、青木一晃社長)が札幌地裁から破産手続き開始の決定を受けていたことが八日、分かった。東京商工リサーチ北海道支社によると、負債総額は約十六億円。かつて大型キャバレー「エンペラー」を経営し、ススキノの代表格と見なされてきた同社の経営破たんは、繁華街の不振の表れとも受け止められている。 (12/9付 道新)
ちょうど釧路に滞在している時に青木商事の倒産を聞いた。釧路は青木商事創業の地であり、かつては「香港」や「銀の目」などの大型キャバレーがあり、1993年頃まで営業していた記憶がある。大型店舗はなくなったが、起業の地へのこだわりか不景気の釧路で最後までクラブやスナックを営業していた。「銀の目」は1958年開店なのでちょうど50年の節目を迎えた年に破綻となった。
管理人は全盛期を知らないが、毎晩一流歌手が東京から招かれ、釧路の夜は不夜城であったことなどは、今年四月に亡くなられた作家でもある八柳鐵郎さん(青木商事専務)の著書にもしばしば登場する。八柳さんは倒産を知らずに先立たれたが、これでよかったのかもしれない。
ススキノ名物であった「エンペラー」も2年前に閉店した。このあたりが潮時というかひとつの「使命」を終えたのであろう。日本最大のマンモスキャバレーの閉店は、イコール盛り場・繁華街の衰退の象徴でもある。キャバレーに限らず、このところクラブ・スナックなど大人の居場所の衰退が目立つ。
北海道では官々接待も禁止され、バブル崩壊以降の長期低迷はお酒の飲み方自体を変えてしまった。大人はススキノから離れ、その後、中心になっていた若者たちも他所へ行くようになった。最盛期、5千軒といわれた飲食店も3千軒台に落ちたといわれている。以前、「エンペラー」があった土地には「メルキュールホテル」の建設が進んでいる。これも時代の象徴か。
そういえば、最近の若い女の子の間ではキャバクラ嬢が憧れの対象になっている。最初はごく一部かと思ったが、管理人の知人の堅気の大学院生もやたらキャバクラ嬢に憧れているようなことを云う。時代が変わった。クラブホステスに憧れる子などは皆無であろうか。
キャバレーのような大箱の復活は難しいであろうが、大人が寛げ、遊べる文化は是非守ってもらいたい。今の酒の飲み方、遊び方は余裕が無さ過ぎる。この世知辛いご時勢では大変なことだが、ますますしみったれた街→国になってしまう。
【参考】
過去拙ブログ「八柳鐵郎さんの思い出」
「ススキノの顔、「エンペラー」が閉店」
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