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【観光ミシュラン】北海道遺産を行く その4 函館山砲台

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写真:函館山中腹より市内を見る
世界三大夜景のひとつに数えられ、道内でも有数な観光地の函館山ですが太平洋戦争が終了するまでは、旧海軍の「要塞」として、長く立ち入りが禁じられていました。
今回紹介をする「函館山砲台」は、明治時代から終戦までの間、国家機密であり、ベールに包まれていた場所です。函館山砲台は、津軽要塞地帯の一部であり、下北半島の大間岬から大湊、津軽半島の竜飛岬、渡島半島の汐首岬(戸井)から福山岬(松前町)にかけては、海防の要として要塞に指定されており、写真撮影や訪問が制限されていました。
こういった要塞は全国各地にあり、戦前の地図を見ると三浦半島から房総半島南部にかけての東京湾、紀伊水道、舞鶴湾周辺、広島・呉周辺の瀬戸内、宇和海から豊後水道、関門海峡、長崎・佐世保、壱岐から対馬など軍港や重要な水路を中心に要塞が築かれていました。
函館山砲台は、明治31年から5年の歳月を費やして作られました。日露関係が緊張していた当時、津軽海峡の防衛が急務であり、函館山は、地形が天然の要塞であり、艦船を一望できるので要塞建設には最適な場所でした。
現在、砲台の跡や地下施設、弾薬庫、指令所などが函館山の8合目より上に点在しています。
著者は昨年の10月、タクシーで8合目にある「つつじ山駐車場」まで登りました。そこから散策路を行くと第2砲台があり、口径28センチという巨大な榴弾砲が据付けられた跡があります。
榴弾砲とは、旅順攻撃や203高地の戦闘シーンなどに出てくる巨大な大砲で、これが津軽海峡に睨みを利かせていたようです。
さらに散策路を登り、展望台駐車場の下あたりにはかっての御殿山第1砲台があります。このあたりは観光地なので、要塞があったなどとは想像できず、位置もわかりにくいため見逃してしまいましたが、地下施設なども現存しているようです。
函館山砲台は、想像以上に大きく、今回は一部しか見ていませんが、この他にも多くの施設が眠っています。
施設は、戦後すぐに米軍により爆破・破壊されましたが、今でもその面影を知ることができ、見ごたえがある産業遺産といえます。
函館山に登る修学旅行生にも夜景だけではなく、こちらの方も是非見てもらいたいものです。
函館山砲台は、その存在の割にはほとんど活躍をすることがなかったようです。
津軽海峡の入口の竜飛岬や汐首岬、福山岬に要塞があっとことや、太平洋戦争では既に海上の艦船から潜水艦の時代になっており、存在意義を失い既に過去の遺物になっていたことが、活躍を少なくしたようです。
戦争末期、青函航路を狙った空襲では、大半の連絡船が撃沈されました。
このとき、砲台からの攻撃がなく、それに激怒した青函航路の責任者が、いったい軍は何をやっているのかと旭川にある陸軍司令部へ日本刀を持参し、命賭けの直談判にいったという話を聞いたことがあります。
戦後、函館山が開放されると砲台には木製の大砲が並べられていたという説もありますが、真偽のほどはわかりません。
現在、函館山は観光地という顔のほか、長い間の要塞時代が続いたおかがで手付かずの自然が残り、ハイキング、散策のメッカになっています。
北海道遺産 http://www.hokkaidoisan.org/

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