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増殖する「ファイターズ帽おじさん」、よくここまで根付いたものだ

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左から昨年までの帽子、右は1974年後期から1981年まで使用されたもの

最近、札幌の街を歩いているとファイターズの帽子を被った人をやたら見かける。その姿は年々増えているが、特に中高年に目立つ。一時、松井がいたヤンキースのキャップを被っているシニアをよく見かけたが、北海道では圧倒的にファイターズである。7年間でよく根付いたものだと思う。

札幌駅北口東西通路にあるグッズショップ「ファイターズ・ステーション」は通年を通して賑わっている。それも女性やかなり齢の行った人などまさに老若男女がひっきりなしに来ており、ファイターズ人気が伺える。

以前、コンサドーレショップが丸井今井の並びにあり、JFLからJに昇格する当時は大変な賑わいを見せていた。しかし、野球に比べるとサッカーのマスは小さく、札幌以外の道内地方都市では反応がイマイチで、道央圏が人気の中心であった気がする。札幌以外での試合が少なかったせいもあるが、やはりプロ野球とサッカーではスケールが違う。親会社がなく、三セク型チームの限界をコンサドーレにはかんじるが、人気下落の原因は勝てないことに尽きる。J1で未だ勝ち星がないアビスパ福岡を見ているとコンサドーレとダブるものが多い。

ファイターズは札幌移転に際し、5年近くをかけてマーケティング調査を行っているが、コンサドーレの事例を相当研究しているはずだ。もともと親会社の日本ハムはセレッソ大阪のメインスポンサーで、大社ジュニア(啓二氏)は直々にセレッソと関わっていたので、プロスポーツのマーケティングには明るいはずである。緻密且つ熱心な事前活動の結果であり、それが報われた。

ファイターズが北海道で人気者になることは、コンサドーレの事例からある程度想像が付いていたが、肝心なことはそれが継続できるかどうかであった。しかし、選手やスタッフの思い切った入れ替えなど毎年、新陳代謝を図ることで、常勝チームの域に近づき、今では北海道だけではなく、全国的な人気チームとなっている。強くなれたのは、現場とフロントが一貫しており、何といっても暖かく、熱心な道民ファンの存在に尽きる。

管理人は日ハム球団創設時、さらに前の東映フライヤーズ時代から数え切れないほど後楽園球場で試合を見てきたので、今は隔世の感がある。あの不人気時代の選手たちに今の札幌ドームを体験させてあげたいと心から思う。

創設年の1974年後期から新球団となって初優勝をした1981年まで使用した帽子の写真をアップした。この帽子を見ると大沢親分の姿が浮かんでくる。高橋直樹、高橋一、佐伯、柏原、古屋、菅野、高代、島田誠、富田、大宮、加藤俊、ミッチェル、ウイリアムス、ソレイタなどの選手名が次々に出てくる。

あの赤と青の帽子を外で被っている人を見かけて記憶はない。小学生でも「少年ファイターズ」に加入している子供たちを後楽園で見かけるぐらいであった。その後、何度か帽子は変わったが、ファイターズ帽が市民権を得たのはこの3,4年ではなかろうか。

ファイターズの強みはファン層が老若男女で、全道を網羅していることだ。かつて西鉄ライオンズは全九州に留まらず、中国・四国まで範囲が及び、実際にそのエリアでホームゲームを行っていた。今のファイターズはその域に近づいてきたと思う。

街を歩いたり、自転車に乗っているおじさんのファイターズ帽を見ると、素直に嬉しい。あとは継続を祈るのみである。

 

懐かしい映像です。ファイターズの応援風景に注目を。後期5回戦ということは夏休みなのでけっこうお客さん入っています。登場する選手ぜんぶわかります。AKBの倉持パパも登場。

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