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ノンフィクション「寝台特急あけぼのの女」。

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上野駅。左1989年4月(14番線)、中央1995年7月(13番線)、右2009年5月(13番線)

事実上廃止になった寝台特急「あけぼの」。事前の想像通りの異常な盛り上がりであったが、あまり後味のいいものではなかった。昨年の拙ブログ「 最後の生活感がある夜行寝台列車であった「あけぼの」が廃止」では、ちょっとした思い出なども触れさせてもらったが、前回には書かなかった過去の出来事を紹介させていただく。

-「寝台特急あけぼのの女」-

2002年の暮のことである。帰省シーズン前の閑散期、管理人は西新宿のホテルでの忘年会が終わり、急いで上野駅から「あけぼの」へ飛び乗った。毎年、天皇誕生日の前日あたりから旅に出る習慣が付いてしまっていたが、この時期は空いており、函館でひとり"クリファン”を見て、札幌に寄って帰ってきた週末旅行である。あけぼのB寝台個室は「北斗星」などと較べると狭く、居心地もよくないので、4人分独占できそうな空いている開放型のB寝台を取った。予想通りのガラガラであり、乗った車両全体を見渡しても2、3人しかいない。ところが発車間際、管理人の席に大きなトランクを引きずった客が入ってきた。

女性である。後で知ったが、年齢はこちらより3歳若い一児の母親であるが、ドラえもんの声をやっているONを若くした感じである。こちらは独りで旅気分に浸りたかったのでちょっと迷惑であった。すぐに車掌が検札に来たが、女性専用車両もあり、そちらに移ったらどうかとONさんに説明した。彼女もその気になっていたが、車掌の融通がきかず、大宮か高崎で乗ってくるかもしれないということで移動はキッパリ断られた。

ONさんは管理人が気を遣ってくれていると思ったらしく、お礼を言った後、気が緩んだのかプライベートなことをいろいろ話し出した。そして、暫くしてカバンからCDを出した。「荷物でなければ。。。」と言ってこちらに渡す。見ると、兄弟デュオ狩人の弟のものである。三重県の自動車の町から実家のある青森へ行くというが、その理由に驚いた。彼女は狩人弟のディナーショーを自ら企画し、そのために帰るというが、突然、父親が危篤になってしまいパーティー用のドレスと喪服の両方を持ってきているという。どうしたらよいのかパニックになっていると言っていたが、既に名古屋から青森へ行く飛行機はなく、東海道新幹線を乗り継ぎ、「あけぼの」に乗車したという。

とんだ人が来てしまったと思った。世間話をした後、早めに上段ベッドに上がり、横になった。すると反対側の上段ベッドで着替えていたONさんが、「まだ起きてますか?あの灯り、何かしら」と言って、反対側のカーテンを開けて顔を出してきた。「まだ灯りが付いてる。家の中で何しているんだろうね」などと話し、彼女はすっかりその気分になっていたが、知り合ってから1時間も経つか経たないかである。父親が危篤だというのにこの女性は何なのであろうか。

翌朝、ONさんは早い時間からガサガサと支度を始めた。お礼を言い、連絡先を教えてほしいと言うので交換をして、弘前のひとつ手前の駅で降り、雪の中に消えていった。

暫くして、ONさんから連絡をいただいた。青森ではお父さんは何とか小康状態を保ったので、予定通りディナーショーに参加したという。その後も、新宿駅であずさ2号を記念した狩人のイベントがあるから、管理人の家の近くのPホテルでディナーショーがなどと言ってお誘いを受けたが、勿論会っていない。追っかけで全国を回っていたようであったが、今も管理人のCDラックには狩人弟のものが眠っている。ONさん、お元気ですか?

 

12年前のことだが、こういった出会い、ハプニングは夜行列車ならではであり、新幹線や高速バス、同じ寝台列車でも個室ではあり得ないことである。管理人が「あけぼの」のことを"最後の生活感がある寝台列車”と言っているのは、こういうことも含まれる。

赤の他人が同席する開放型の寝台であるが、考え方によってはとても贅沢に思えてしまう。この時は4人が向かい合う2段寝台だが、3段の時代は6人がドアのないコンパートメントで長時間寝食を共にしていたのだから多くの人生模様があったであろう。個室寝台は快適であり、新幹線は一晩過ごすことなく着いてしまうが、やはり味気なく、人間関係が希薄な現代の象徴のように思えてしまう。

"昭和の郷愁”などという安っぽいセンチメンタリズムで片付けてはもらいたくない価値と意味のあるものが消えてしまったのは残念でならない。

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