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大相撲北海道巡業・朝青龍の話でも

大相撲は北海道巡業中だが、夕張巡業が8日、チャリティ形式で開催された。市民千人が招待されたが、先日はプロ野球2軍戦が開催され、これまでコンサート、プロレスなど数えきれないぐらいのイベントが実施された。また、甲子園の始球式では夕張高校の投手が始球式をしており、夕張は「劇場型社会」にすっかり利用された格好だ。市民はどういう気持ちなのであろうか。
大相撲といえばこのところ朝青龍の話題で持ちきりである。大相撲がこれほど騒がれるのは、昨年の貴乃花親方の事件以来であるが、今回は朝青龍のことを少し話をしてみたい。
管理人は幼少時からの相撲ファン。相撲部屋へ本気に入ろうと思った時期もあるほどで一般の人よりは角界のことは知っているつもりだ(当時の角界はタコ部屋なので3日もたたずに脱走したであろう)。
朝青龍への2場所出場停止のペナルティには正直驚いた。もともと角界にはこういった罰則はなく、露鵬の暴行事件での3日間出場停止が最初である。その後、旭天鵬が運転中の事故で1場所の謹慎処分になって以来である。どれもが外国人力士だが、その前にモミアゲで有名だった力士(高砂部屋)が交通死亡事故を起こした際(不起訴)は、自ら1場所謹慎を申し出てお茶を濁した格好だ。
はっきり言って相撲界はナーナーの御都合主義の世界、露鵬の事件まで罰則が規則化されていなかったのだから異常だ。
ペナルティではないが、先日廃業した旭鷲山もモンゴルでのビジネス上のトラブルから闇世界から脅迫され、大島部屋へトラックが突っ込み、その詰め腹を切らされた格好で、力を残しながら廃業をした。前述の旭天鵬も大島部屋、モンゴル力士のパイオニアであるが、ここの大島親方(元・旭国)は、巡業部長である。自分の部屋の力士二人が処分され、何で朝青龍だけがという不満もあったのではないであろうか。


外国人力士は高見山が先駆者である。彼は大変だったと思うが道化に徹して相撲界に貢献をした。帰化をしたが、日本人以上に日本的で、今でも角界に従順である。そのため、後の小錦、武蔵丸に代表されるハワイ勢は角界に同化しようと努力した。高見山という先輩がいたからこそ大きなトラブルを起こさないで済んだのだ。小錦が横綱を見送られた時、「人種差別」発言をしたが、後に封印をした。
これに対し、モンゴル勢には旭鷲山という先輩はいたが、朝青龍があっという間に頂上へ行ってしまった。管理人は朝青龍は力士というよりは、格闘者・アスリートであると思っている。彼の相撲は格闘技である。相撲は格闘技ではないのかと言われるかもしれないが、格闘技とも古典芸能ショーともいえない部分がある。朝青龍の土俵際のダメ押しや稽古場で相手に恐怖感を与えるため荒技をかけるのが、決していいことではないが、相撲を格闘技に近づけたという面では大いに評価するべきである。
彼はひとこと「やんちゃ」なのである。横綱の品格・品性・重みなどとよく言うが、そんなもの本当にあるのであろうか?また必要であろうか?
こんなことを言い出したのは、春日野理事長(栃錦)の頃からである。これまで、そんな横綱はいたか大いに疑問である。双葉山や常陸山は神格化されているが、それは「結果」であって発展途上の若者には通用しない。貴乃花がそうなろうとしていたようだが、無理があった。朝青龍が稽古で恐怖感を与えるという方法は、某大横綱が散々やっていた。言うことをきかない相手には、本場所の土俵でも「制裁」を加えていた。
また、解説をやっているダンディな元横綱(前述の某大横綱の師匠)は、「自律神経失調症」という病名で休場をして、場所中にハワイに居たことがわかり、物議をかもしたが、何のお咎めもなかった記憶がある。
大相撲を国技とし、横綱を神格化したのは、財団法人化してからの相撲協会の戦略と考えて方がいい。横綱審議委員会もあるが、あれはいったい何のためにあるのであろうか?記者や相撲ファンを集めるかweb投票でもした方がよっぽどよい。
朝青龍は、アダルトチルドレンの対極、精神分析の用語であるが、フリーチルドレンのタイプであると思う。報道が事実であれば、その脆さは理解できる。管理人流に診断を下せば「燃え尽き症候群」である。一時的にはモンゴルに帰国した方がいいと思うが、人間的成長、将来を考え自分と正面向かい合い、見つめ直して、気づくという意味では、日本に居た方がいいであろう。この最終判断は医師や親方でも無理であろう(この高砂親方は何をしているのか朝青龍以上に問題である)。
それにしても、いろいろな人物が登場し、思惑が見え隠れする朝青龍問題である。朝青龍は、自分が利用され、お払い箱にされる、それは外国人だからと思っているであろう。擁護する訳ではないが、肘がかなり悪いのは事実。白鵬が登場したので夏巡業ぐらい休みたかったのであろうが、巡業の意味を理解しておらず、反朝青龍勢の親方衆に勢いづかせてしまった。朝青龍が横綱になってから地方巡業は、不人気で極端に減っており、ギャランティを下げて、やっと数が増えてきたところだ。
朝青龍がどうなるか知らないが、相撲協会が罰則を規則化するなどシステム化を進め、曖昧さをなくしていくのはいいことだ。また、外国人の入門規制や番付面での不利など御都合主義ではない、開かれた相撲協会にしなくてはならない。これまでの協会は、暗黒の秘密結社である。相撲界が正さなくていけない部分はまだまだある。そういったものが、外国人力士のトラブルがきっかけとなって公にされていくことは、意味があることで、それだけでも外国人力士を入れた意味がある。
土俵の上でも格闘技としての相撲が見たいか、古典芸能スポーツしての相撲を見たいか意見が分かれるところだが、格闘技性が高い方が遥かに面白いはずだ。土俵の美は理解できるが、都合のいい時だけ品性や美を持ち出すのはやめてほしい。
これまで相撲界への批判はタブーとされ、抹殺されてきた。なぜか相撲ファンも暗黙の了解なのかあまり意見を言わない。国技館に来る客も優しすぎると思う。升席の大半が招待客だから仕方ないが、相撲観戦はスポーツ観戦というよりも歌舞伎やお座敷芸に来た時の感覚と似ている。だからブーイングも野次も少ない。予定調和で終わればいいのであろうが、それが続いてきて、時代と合わなくなってしまったことに気づくべきだ。これまでベールに包まれてきた相撲界だが、情報開示の時代である。そんなことはいつまでも通じない。
今回の件も含め、矛盾や不平等、また、テーマが逸れるが、陰湿なイジメ暴力的体質、相撲部屋のシステム、稽古や育成方法の見直し、身体がでかければ誰でも入門できる今の新弟子制度、年寄株や本場所制度など改善・見直しすべき点をあげればキリがない。これらのテーマに対し、協会は、「聖域」として、外部との遮断を続けてきた。相撲界への批判的な報道は、「村社会」の相撲担当記者では書けない。
朝青龍の事件で、相撲への注目が高まっている。スキャンダルでも相撲界にとってありがたいことなのだ。大相撲の世界が持つ閉鎖性、曖昧さが改善されれば外国人力士とのギャップも減ってゆくであろうし、スポーツの領域に近づくかもしれない。このままでは力士は入門しなくなるであろう。都合のいい言葉の伝統に胡坐をかいていてはいけない。

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