JR釧路駅の名物駅弁「いわしのほっかぶりずし」のすしねたが今春から、約20年ぶりに釧路産マイワシに切り替わっている。弁当発売直後に道東沖のマイワシが不漁に見舞われやむなく米国産や千葉県産を使っていたが、近年の豊漁で地場産が手に入るように。製造、販売する業者は「胸を張って釧路の味をPRできる」と喜んでいる。 (8/27付 道新)
この駅弁、管理人は釧路駅から「スーパーおおぞら」に乗車する時は必ずといっていいほど購入する。車内販売のメニューにも載っているが、イワシの上に乗った生姜と合わせた甘酢の薄い大根(沢庵)が旨い。 このほっかぶりずしのルーツについては諸説あるが、市内繁華街の栄町でいわし料理屋をやっていた「いわし屋太平」の大将、奥村氏が1980年頃メニューに出したのが最初だと直接本人から聞いたことがある。この駅弁屋さんは1989年からであり、こちらも「元祖」といっているが、料理メニューとして提供したのは「いわし屋太平」が先であり、駅弁(弁当)として最初に販売したのが引田屋ということであろう。いわし屋の大将は「自分が元祖だ」とかなりこだわっていたが、店では「霧ずし」で売り出し、別名で「いわしのほっかぶりすし」といっていたと記憶しているが。
イワシが大量に獲れた当時の釧路を象徴する食べ物だと思うが、管理人が最初に太平で食べたのは1992年であり、既にこの頃は釧路の海からいわしは消えていた。横須賀(長井)産のいわしを使っていると言っていたが、つみれ汁と一緒に〆でいただくと酔いも醒める感じであった。太平は多くのガイドブックで紹介されていたので観光客が多かったが、なかなか一見さんでは入りにくい店が多かった釧路の繁華街の中では気さくな雰囲気で、当時は店を知らなかった管理人も常連となった。
今から20年以上前の話だが、太平はリピーターが多く、釧路ファンの集合場所のようになっていた。既に管理人の他にも長期滞在(1週間程度)をしている客が複数おり、それもリタイアしたシニアではない同世代の会社員たちであった。その頃から釧路には長期滞在をさせたくなる土壌があったのかもしれない。大将の奥村氏は釧路の出身ではなく、関東だと言っていたが、地元とはあまり肌が合わなかったようで、内地の人間とよくつきあっていた。
ある時、「いわしのほっかぶりずし」が横浜高島屋の北海道展に出ることになった。1週間、店を閉めるが、ホテルで一人はつまらないと言って遅い時間に電話がかかってくる。横浜まで出て酒が呑めない相手の相手をしたが、京都の時も電話がかかり、「もう二度と催事なんてやらねえ」という愚痴を聞いてあげたことがある。また、常連さんとは釧路川によく釣りに行っていた。管理人は早起きに自信がなく、行かず仕舞いであったのが残念だが。
最後に太平を訪れたのは2007年であろうか。その時の大将はげっそり痩せて、半分ぐらいになっていた。話した感じはふつうであったが、その後、店は休業となった。2008年頃に再開をしたが、扉から中を覗くと知らない職人さんがいた。奥さんはフロアに居たが、何があったのか訊くのが怖くて、入れなかった。それからすぐに店は閉まり、貸し店舗になっていたが、その後、どうなったであろうか。
話が「いわしのほっかぶりずし」からずれてしまったが、もうひとつの元祖である「いわし屋太平」と大将であった奥村氏の話を紹介させていただいた。印象としては駅弁の方は身が薄く、味もさっぱりしているのに対し、太平の方は身がしっかりしており、酒の友ということもあってか濃い目であった。
コメントを書く
コメントを投稿するにはログインしてください。