石川啄木と北海道、そして釧路 来釧100周年

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北海道は石川啄木と縁が深く、新聞記者として滞在した各地に記念碑や像などがある。函館から小樽、札幌、釧路と流浪したが、その中でも釧路には多くのモニュメントが残っている。
そんな啄木が来釧してから100周年に当たる今年、「石川啄木来釧100年記念展」が19日から2月3日まで釧路市生涯学習センターで開催されることになったと12日付け釧路新聞が伝えている。
啄木が旧釧路新聞の記者として滞在したのは僅か76日間だが、道内で滞在した都市のなかではもっともインパクトがあると思う。啄木は明治41年1月21日午後9時半に釧路駅に降り立つが、その時のことを
「さいはての 駅におりたら 雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき」という有名な歌で残している。
この詩、かなりリアリティがあり、たとえば今晩、釧路21時43分着の「スーパーおおぞら11号」で降り立ったとしてもきっと同じような感慨を抱くであろう。最果ての駅に着いた実感がしみじみと伝わってくるが、管理人がはじめて釧路を訪れたのも真冬の夕方であり、東京から鉄道を乗り継いで到着したせいか100年経っても啄木の詩と心情が理解できる(ような気がする)。
釧路市はかなり前から啄木で観光街おこしをしている。MOO対岸の港文館には啄木の資料と像があり、米町公園など市内に4,5個所は歌碑があるのではないか。港文館から米町公園にかけての南大通り周辺は、かつての釧路の中心街であり、啄木が勤めた釧路新聞や啄木と愛人関係にあった小奴が居た料亭跡などにも記念碑もあり、「啄木ルート」となっている。
管理人は釧路によく訪れるようになる前は啄木のことをよく知らなかったが、見聞するううちにその人間臭さに興味を惹かれるようになった。それまでは「薄幸」・「孤独」・「貧困」・「夭折」といった先入観があり、死後評価されるようになったエコールド・パリの画家のような存在であった。
ところが釧路の小奴との関係以外にも道内各地で女郎屋通いの常習で、借金まみれの放蕩生活であったようだ。啄木の貧困は度を越した遊びが原因のようである。
その後、釧路を去った啄木は、東京の朝日新聞に就職する。そこで歴史に残る大詩人への道を歩むが、3年後の26才に亡くなっている、
現在、朝日新聞夕刊で「歌う記者 石川啄木」が連載されているが、前借り前借りまた前借りで、借金、入質を繰り返していたらしい。人間臭くて親近感がかえって湧く。そのあたりのギャップも今だ人を惹きつける理由のひとつではないであろうか。
港町釧路と啄木は意外にお似合いかもしれない。

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