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「エンペラー」の思い出(2)

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8/11のブログで紹介をした9/9で閉店をするすすきののマンモスキャバレー「エンペラー」についての続編だ。
八柳鉄郎氏の著作にもだびたび登場するが、「エンペラー」には名物ホステスが何人かいる。その一人、Tさんは外見が市原悦子似の普通のオバサン、しかし10年以上売上げNO.1の超売れっ子である。
何しろ数万人単位の顧客データベースを持ち、自宅には数台のPCとプリンターがあり、せっせとDMを送っているらしい。私は直接話をしたことはないが、和服やチャイナ服姿でいつも忙しそうにフロアを飛び回っていた。
Tさん、ひっきりなしで指名がかかるからであるが、このオバサンの何が惹きつけるのか一度、じっくりみてみたかった。Tさん、閉店後はどうするのであろうか。
私が「エンペラー」に行くのは有名歌手(最近はB級であるが)などが出演したりする日のせいぜい年に1,2回。黒服に「ご指名は?」と聞かれても、馴染みはおらず、知っている女性の多くがバイトなので次に行くときは辞めていることが多く、親しいホステスさんはいなかった。
そのなかで唯一、印象的な女性がいるので紹介したい。


1998年頃の話だが、私はフリーで行くので指名があまりかからないバイトの女性がとっかえひっかえ席へ挨拶に来る。これは落ち着かず、気疲れするのだが、源氏名Mという函館出身のホテル専門学校2年生の子がついた。同じ専門学校の同級生3人でバイトをしていたが、少しの会話でこれまで付いた子にはなかった聡明さと勘のよさのようなものをかんじた。また、もって生まれた水商売のセンスのをかんじた、この子はひょっとして化けるかなと思い、この後、どうなってゆくか興味をもつようになった。
当時Mは「エンペラー」を遊び代欲しさのアルバイトと割り切っており、水商売には興味がないようだった。しかし、当初はかからなかった指名が、行く度ごとに増え、指名により席を離れることが多くなった。売れっ子の証拠であり、数ヶ月でアルバイト組では人気者になっていた。
それでも欲がなく、行く度、「次はもういない。辞めてるよ」と言っていたが、就職難でホテルの仕事が見つからず、学校の出席単位も足りなりようだった。
そのうちアルバイトではNO.2か3になり、ホステス全体でもベスト10に入りそうだと嬉しそうに話をするようになった。その頃からやる気が出始め、レギュラーでやってみたいと言うようになった。プロ意識を持つようになり、原色の安っぽい貸しチャイナドレスをやめ、自前の服で出勤をするようになった。
会って間もない頃はMに幼さをかんじた。微笑ましい部分とここは直した方がいいという部分があり、話し方や食事の仕方などそれとなく注意したことがある(うるさいオヤジと嫌われるのではと内心ビクビクしたが)。
しかし、次に会うとそれが少しずつ直っているのに関心した。僅か数ヶ月の間に身だしなみ、話し方などが大人のそれになってきた。女性は周囲から注目を集めていると変わってゆくことを実感した。
Mとたまに食事に行くと人生相談を受けた。当時は同棲中であり、客とのアフターをすると嫉妬から暴力を振るうビデオ屋で働くフリーターの男のことで悩んでいた。
男からみれば女が手が届かないとこへ行くのが耐えられず暴力を振るうのであろうが論外であった。
その後も違う好きな男ができ、結婚をしたいと言って相談をされたことがある。それ以外にもこちらがカウンセラーのように会うたびにお悩み解決をした。Mとは恋愛関係とは程遠かったが、えらく馬があい、変化してゆく姿を見るのが楽しかった。
その後、Mはキャバクラ(すすきのではニュークラブという)にヘッドハンティングをされた。同時に暴力を振るう男のアパートから出てマンションへ移った。
有名なキャバクラであったが、そこでもNO.2になっていた。久しぶりに顔を出したが、初めて会った頃のあどけなさは消えており、売れっ子のホステスの姿になっていた。
私はキャバクラの雰囲気がどうも苦手であった。エンペラーのようなほのぼのしたものがなく、すべてシステム化されている。ひとことでいえば遊びごころが無く、誘うのが目的の客が多く、キャバクラへはそれ一度きりであった。
そこでは、世の中から会話やプロセスを楽しむ余裕がどんどんと失われてゆくことを感じた。
暫くしてMはすすきのでは最高級といわれる新興のクラブにハンティングされた。座って5万円、ボトルを入れて7万はかかるのでとても行ける身分ではない。よく電話やメールを貰ったが、店が変わる度にMに足が遠のくようになった。
ところが3年前、スーツ姿のMと偶然、すすきので出会った。一瞬、オーラを出しているMを見て手が届かないところへ行ってしまったようなかんじがしたが、立ち話をするとすぐに昔へ戻った。
翌日、旭ヶ丘で遅いランチをした。一緒に食事をするのは2年年ぶりである。
「エンペラー」時代の昔話で盛り上がった。ふたりで小樽の雪明りの祭りに行った時、雪でJRが止まり、遅刻をして店へ入れてもらえず、日払いの1万円が貰えないで半べそをかいていた話など懐かしかった。
Mは「何でOさんは私が水商売が向いていて、そっちで仕事をした方がいいと言ったのですか。1,2回しか会っていないのどうしてそれがわかったのか不思議で」と訊かれた。
これは経験というよりは、勘みたいなものだと答えた。さらにMは「そう言われて後から暗示みたいに向いているんだと思うようにしたの。店の人は上手いこと言うけどお客さんでそんなこと言う人あまりいないから今のクラブに移る時もその言葉を思い出して決めたんだ」と言った。
「予想」が的中したわけだが、ここまで大きくなるとは思わなかった。Mには天性の素質があったような気がする。これはいくらキャリアを積んでも備わるものでなく、気質のようなものであろう。
水商売の仕事は生身の姿が出るので、単なるお色気やクチ上手だけでは長続きせず、プロとして成功するにはもっと深い部分が求められると思う。
私が知っている限り、長くお店をやっている方は皆さん人柄がいい。こちらも信用しているから長いつきああいになるのであろう。これはどんな仕事でもいえることであるが。
Mの場合、当初の無欲さ、自然でフェアな振る舞いが結果的に花を咲かしたのではないか。また、夜の仕事をしている女性のなかでは時間に正確で、几帳面である。
Mとは次回に札幌へ来る時は必ず店を寄ると言って別れを告げた。
それから3年が経過したが、まだ店へ足を運んでいない。Mは今年で28歳になった。この2年、バッタリ連絡がなくなった。
今回は「観光研究所」の内容には合わない話をしたが、エンペラー、経営する青木商事さんとは不思議な縁がいくつかある。閉店を聞いてMのことを思い出し、書いてみたくなった。
どうしているか。

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