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北海道ローカル路線バスと秘境旅 小樽-おたもい(北海道中央バス) 『石狩挽歌の町を行く2 前編』

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北海道を代表する観光地・小樽。小樽運河や北のウオール街と呼ばれた歴史的建造物は北海道の中心として、かつては栄えていたことを示す名残である。北海道最初の鉄道や洋式ホテルなど札幌に先立って造られており、昭和初期までは黄金時代であった。
同じ頃、海の方では鰊(にしん)が大豊漁。道南江差から積丹、石狩方面にかけての日本海沿岸は千石場所として賑わい、多くの鰊御殿が建てられた。当時の小樽は北海道経済の中心都市であり、また水産業でも賑わいを見せた我が世の春の時代であった。
小樽は当時の遺産が重要な観光資源となっている。鰊漁が盛んであった時代の遺産としては、祝津の鰊御殿、青山別邸や平磯岬にある銀鱗荘などがあるが、鰊御殿は積丹・泊村からの移築、高級旅館として名高い銀鱗荘も余市から運んできたものである。
 前回の「石狩挽歌を行く 石狩編」で紹介をした石狩本町は、かなりよい寂れ具合をしていたが、今回は大観光地・小樽の紹介。前回以上に「秘境バス」などあるのかと言った声が聞こえてきそうで頭が痛い。先に結論から言うと、今回舞台となる「オタモイ」は『おたもい行』の路線バスはあるが、目的地へはさらに20分以上歩かなければならない。戦前まではオタモイ海岸まで路線バスが通じていたらしいが、大昔に廃止になっているようだ。
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1995年、私は北海道旅行の最終日・小樽を訪れた。
小樽港から新潟へ向かう夜発のフェリーに乗船するためだが先に荷物をフェリーターミナルのロッカーに預けて、小樽築港から運河周辺を散策しようと思った。
小樽駅からタクシーを拾い、「新日本海フェリーの乗り場」と告げると、運転手は「出航までまだ時間あるでしょ。少し観光しない。運河でも見るかい?」と言ってきた。
私は警戒をした。一見の観光客と見られているのではないかと。
ここは虚勢を張って、「小樽は何度も来ているからいいよ。運河なんか面白くないでしょう?」と返した。
すると、「まあ、昔の運河と違うからね。じゃあ、多分お客さんが知らない所、連れて行くよ。私は写真が好きで、撮ったやつ絵葉書にしてお客さんにあげているんだよ。これっ、どこだかわかる?」後ろ向きにポストカードを差し出した。
なかなか手強そうなドライバーだ。
写真を見ると、尖がった岩や断崖、それに夕陽なので「積丹と忍路海岸あたりかな・・・」と私は呟いた。
「一枚は積丹のローソク岩だから当たり。そっちは忍路じゃなくてオタモイ海岸。ここも夕陽がいいよ」やられた。オタモイか。名前はよく知っていたが行ったことはなかった。
 3年前、好きな北原ミレイの「石狩挽歌」を追って、石狩浜へ入ったが、曲の中で「オタモイ」は出てくる。2番の歌詞に登場するが、朝里までは行き、実はオタモイを探しに行ったのだが、当時はカーナビもなく入り方がわからず、塩谷や忍路あたりと勘違いをしてグルグル周って引き返してきたのだ。
運転手はぼったくりそうなタイプではなく、なかなか熱心なお人のようである。ちょうど日没近い時間、旅の終わりの記念として「オタモイへお願いします」と告げた。
「じゃあ、オタモイで夕陽、それから旭展望台を案内してあげるよ。行ったことある?ここの夜景は小樽イチ。そこからフェリー乗り場まですぐだから」。運転手は乗ってきた。当時、旭展望台も知らなかったので、私も知ったかぶりをしたかもしれない。
「料金はいくら?」。旅で相当使ったので、懐具合は豊かではない。
「いくらでいいかい。メーターは途中で止めるから。サービスして7千円でいいよ」と告げてきた。
高い。本来は1時間で7千円は安いのかもしれないが、これまで道内で観光タクシーを利用する時はすべて直交渉。以前、紋別では廃線めぐりで50キロ以上2時間走って5千円。釧路湿原へ行った時も細岡展望台往復に市内観光をして100キロ以上走り1万2千円でやってもらった。
「4千円でどう」。
「4千円はきついねぇ」。
「じゃあ、最初に祝津の灯台へ行って5千円で」とダメもとで振ってみると
「それでいいよ」。話はすんなりまとまった。
タクシーは運河沿いから高島漁港を過ぎ、観光スポットでもある祝津へ。
そろそろ暮れかけたきた祝津岬は小樽一のビューポイントだ。眼下には日和山灯台や鰊御殿、水族館が見える。ここから見る石狩湾は季節ごとに色を変えてくれる。タクシーは回転レストランがあるホテルの前を通り、山道へ。さらに大きな墓地を通り、ふたたび住宅街へ。途中を曲がり、細い路を数分走るとオタモイの海岸に着いた。
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クルマを降りると、運転手は積丹方面を指差した。岩陰に太陽が反射している。そろそろ断崖と海の間に太陽が落ちる頃であった。
「子供の頃、あの崖の上に龍宮閣っていうのがあって親の時代は賑わってね。火事で焼けちゃったんだよ」。
これが、石狩挽歌に出てくる鰊御殿か。
しかし、断崖絶壁の地に御殿があったなど、地形を見ると俄かに信じられない。
「あんな絶壁に鰊御殿があったんですか?」
「いや、今でいう健康ランドっていうか、遊園地があって子供時分は遊び場になっていたの」
オタモイ岬の鰊御殿は、「御殿」ではなく遊園地?
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石狩挽歌の歌詞ではこうなっている。
燃えろ篝火(かがりび) 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳(ひ)く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの 夢を見る

この「今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロー」の部分が重要のようである。
その日は旭展望台で宝石箱のような夜景を見て、新潟行きフェリーの人となった。

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