函館駅駅弁の「みかど」が撤退 ここは日本最初の食堂車営業を行った伝統ある企業だった

函館駅駅弁の「みかど」が撤退 ここは日本最初の食堂車営業を行った伝統ある企業だった

mikado

JR函館駅構内の駅弁店などを運営する「みかど」(大阪市、後藤二郎社長)は15日で、函館営業所(函館市若松町)の営業から撤退する。業績不振が主な要因で、東日本大震災が追い打ちをかけた。弁当製造や同駅で展開する駅弁店やそば店などの業務は、同駅の店舗運営を手掛けるジェイ・アールはこだて開発(函館市若松町)が引き継ぎ変わらず営業する。(1/13付 函館新聞

函館駅構内で駅弁を販売する「みかど」。管理人も何度もお世話になっているが、この「みかど」、大変由緒ある会社である。

本社が大阪市とあるが、もともとは1897年創業の神戸「自由亭ホテル」(後のミカドホテル)で、私鉄の山陽鉄道(今のJR山陽本線)により日本最初の食堂車営業が行われた時から「みかど」の名称で食堂車事業に参入するようになった。また、1914年、新築された2代目門司駅(現門司港駅)駅舎2階に高級フランス料理店をオープンしており、神戸発のハイカラな企業であったようだ。

その後、東海道線・山陽線を中心に食堂車営業や全国主要の駅で駅弁、構内食堂、喫茶などを手がけるようになった。食堂車営業は1938年に譲渡し、みかどの他、5社が合併してあの「日本食堂」が誕生している。日本食堂はJR誕生の頃まで食堂車の代名詞であったが、その後、JRと同じく分社化され現在に至っている。

「みかど」の歴史を簡単に振り返ったが、管理人は函館の「みかど」が日本最初の食堂車営業を行ったそれと同じものとは知らなかった。思い出してみると、昔は「みかど」という名称の構内食堂が上野駅など各地にあったような気がする。国鉄の食をいっきにしきっていた日本食堂とも関連が深そうであり、青函連絡船の飲食部門も「みかど」であったのであろうか。

なお、「みかど」の構内食堂の営業は、発祥の地である神戸駅構内食堂「みかど」が2003年11月に閉店している。

函館は1936年、構内営業の浅田屋構内食堂を吸収合併し、函館営業所を開設している。 また、函館新聞記事によると「函館駅構内の弁当店のほか、ホーム内のそば店・立ち売り弁当販売、同駅敷地内の社員食堂、JR五稜郭駅内そば店の5カ所を運営。」とあるが、連絡船時代は賑わったことであろう。

今後、「ジェイ・アールはこだて開発」が、事業を継承し、営業主体は16日から移行するが、5カ所すべてが残るかどうか未定だという。最近の「駅ナカ」食は駅弁を除き、JR直系の企業が殆どになってきた。ローカル色がなくなり、味気ない気もするが・・・

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