鉄道紀行作家の宮脇俊三さんが亡くなられて5年が経った。現在でも熱心な愛読者が多く(管理人もそのひとり)、著書は売れ続けている。宮脇さんの訃報を訊いた時のショックは半端ではなく、その後、宮脇本の購入は封印していた。
宮脇さんの代表作のひとつに「最長片道切符の旅」(新潮社1979年)がある。ご存知の方も多いと思うが、日本縦断一筆書き乗車券を最初に世に知らしめた作品である。最近になり、「最長片道きっぷ」の取材ノートが、遺品整理中に長女灯子さん(お父様と同じく作家をされている)の手によって発見された。
そのノートが『「最長片道切符の旅」取材ノート』(新潮社)として発売され、売れている。また、「小説新潮」5月号の特集が「宮脇俊三と旅」するで取材ノートの裏話や作者と縁が深い人たちが寄稿している。宮脇さんへの評価は没して尚、上昇しており、新たな鉄道の楽しみ方、ジャンルを提供した意味においてもその貢献は計り知れない。これからも読み続けられるであろう。
宮脇さんは中央公論社に勤められていたが、その編集部の部下に作家の村松友視氏がいた。このお二人、大変な共通点がある。まず、中央公論在籍中に本を書いて、ベストセラーとなっている。そこまでは驚く話ではないが、宮脇さんのジャンルは「鉄道」、片や村松さんは「プロレス」である。
当時、鉄道とプロレスといえば、マイナーオタクジャンルの極みであり、それぞれのファンは隠れキリシタンのようにしていた時期だ。村松さんは新婚当時、部屋を真っ暗にして、見つからないようにプロレス中継を見ていたらしい。
村松さんが「私、プロレスの見方です」を著したのは1980年。ほぼ宮脇さんの作家活動スタート時と同じだが、中央公論社で同じ釜の飯を喰ったお二人が、奇しくも鉄道、プロレスという当時堂々と言うのも憚る2大ジャンルを文学にしたことはすごい!!
その後、鉄道もプロレスも晴れて隠れの身から開放され、今日に至る。実は管理人は鉄道、プロレスともに大好きであり、このお二人には感謝しかない。
小説新潮に村松さんの寄稿があるが、お二人とも会社を辞めるまで、お互いの「趣味」を知らなかったというのも興味深い。
実はよく行く居酒屋に村松さんがたまにいらっしゃる。管理人がカウンター越しにプロレスネタを振ると「またプロレスの話?」といいながら話題に乗ってこられる。できれば宮脇俊三さんのことも訊いてみたい。
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コメント(2件)
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『最長片道切符の旅』懐かしい本ですね。私も何度か読み返しました。出だしは、渋谷駅の旅行センターに切符を手配に行って、窓口の人が戸惑っている場面でしたね。
しかし今時は、スピードと快適さが優先。これも時代の流れと受け入れるべきでしょうか?
最近では「みどりの窓口」も機械化・無人化が進み、ネットでチケット予約ができ、さらにモバイルで新幹線が乗れる時代。宮脇さんが生きていたら嘆かれるでしょうね。
最近の「ビュープラザ」は契約社員が大半、みどりの窓口までも女性契約社員が増えていますが、知識など大丈夫なのでしょうか。
雰囲気としても難しい経路の乗車券や「周遊きっぷ」、レール&レンタカーきっぷなど手間がかかるものは買いづらくなってきました。
昨年、地元駅で「トワイライトEXP」シングルツインの発行の仕方がわからず、さらに乗車券も途中経路がわからず、頭にきて帰ってきたことがあります。
レベル下がってますなぁ。他社のきっぷが発行できないのは分割民営化の影響も大きいかも。
それにしても非効率的な旅をしたい・・・・・