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八柳鐵郎氏の思い出

少し前の話で恐縮だが、どうしても触れたいことがある。
(以下4/22付け道新記事より)

札幌・ススキノを長年見守り続けた、作家の八柳鐵郎(はちやなぎてつろう)さんが十九日、七十六歳で亡くなった。豊富な人生経験から多くの人に慕われ、ネオン街をこよなく愛した「ススキノの生き字引」。二十一日に札幌市内で行われた通夜には約四百人が訪れ、死を惜しんだ。
八柳さんは、二〇〇六年に閉店した老舗キャバレー「エンペラー」などを経営する青木商事の専務や相談役を歴任。「年末の書き入れ時などには、エンペラーの入り口前に立ち、自ら客の出迎えをやっていた」とすすきの観光協会の篠田政一会長は言う。
 樺太生まれ。戦後引き揚げし、食糧難や貧しさを経験した。それだけに、地方から札幌に出てきたホステスには親身になって相談に乗った。
 「金をためろ。金のないやつは不幸になる」-。エンペラーで約二十年間、ナンバーワン・ホステスだった徳川美智子さんは、八柳さんが口癖のように言っていた言葉を思い出す。「私にとっては仕事の師匠。ありがとうの一言です」と涙をぬぐった。
 二十五年来の付き合いという、「あるた出版」の平野たまみ社長は「八柳さんを『夜の牧師様』と呼んだ人もいた。それほど心の温かい人だった」と振り返った。
 八柳さんが熱心に取り組んできた一つに文筆活動がある。「すすきの有影灯」「薄野まで」「すすきのの女たち」…。歓楽街に長くかかわってきたからこそ知っている人間模様を、八柳さんは文字に起こした。
 テレビでも共演したことがある作家の東直己さんは「繊細で、いい文章を書く人だった。苦労をしているからこそ、書けたのだろう」と語った。
 二十一日の通夜に飾られた八柳さんの遺影は満面の笑みだった。「通夜の帰りに、八柳さんをしのんで、ススキノで一杯やってほしい」。葬儀委員長を務める「あるた出版」の山崎巌会長はそう呼びかけた

管理人は八柳さんと小さな交流があった。十数年前、たまたま八柳氏の著書を手に取った。北海道へ行った際は地元の出版物をまとめて買って帰るが、その時、めぐり合ったのが道新から発行されている著書だった。
ススキノの女性や自身の過去などエッセーとも小説ともつかぬ独自のタッチで書かれていた。非常にリアル且つあたたかく、どれほどの人間をこれまで見てきたのか相当な苦労をされたことが伺えた。
暫らくし、八柳さんに会ってみたくてふらりと「エンペラー」を訪ねてみた。キャバレーは初めてで緊張したが、フロアの隅に立たれている八柳さんを発見した。早速、ご挨拶をすると、「私の本を読んで訪ねて来てくれた方は初めてです」と大変恐縮されていた。連絡先をいただけますかということで名刺交換をしてその日は帰った。
お礼の手紙を送り、暫らくして「エンペラー」を訪ねてみた。八柳さんは「先日のOさんの手紙、店の朝礼で全部読ませていただきました。うちのホステスにも是非伝えたかったことがあります。」と言われた。こちらは赤面ものであったが、内容はキャバレーの文化を守ってほしいことや店の心遣いなどについて書いた覚えがある。
その後、2,3度お会いして、歌志内出身のアローナイツショーの時は、炭鉱出身の彼らに興味があることを告げると楽屋まで案内していただきアローナイツのボーカルの方を紹介したいただいた。八柳さんからは「一度、ゆっくりススキノで杯を交わしましょう」と言われていたが、その後、店には出られなくなり、結局果たすことはできなかった。最後にお会いしたのは2000年頃であろうか。
一昨年、秋エンペラー閉店の話を聞き、会社に八柳さんの近況についてお伺いすると既に体調を崩されて出てこれないというだった。
フロアの、やさしそうな笑顔が忘れられない。

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