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北海道ローカル路線バスと秘境旅 小樽-おたもい(北海道中央バス) 『石狩挽歌の町を行く2 後編』

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タクシー運転手の興味深い話を聞いて以来、オタモイの歴史に俄然興味が湧いて来た。
オタモイを訪問をした1995年はパソコンソフトのウインドウズ95が登場した年である。インターネット元年と云っていいような年であり、瞬く間に多くのホームページの開設がつづいた。小樽関係のサイトも増えたが、オタモイの歴史も検索をしても、なかなか情報には辿り着けず、結局、小樽市の博物館にも行って調べてみたりした。
オタモイ遊園地をつくったのは網元など漁業関係者ではなく、意外にも小樽在住の寿司店主であった。
加藤秋太郎と云い、花園町で「蛇の目寿司」を開業、それが当たり、中華やフランス料理まで出す大繁盛店へ。加藤は観光施設がない小樽にレジャースポットが必要と考えて、とてつもない事業に乗り出した。費用はすべて自腹であり、足りない分は無尽でまかなったらしい。
昭和7年、まずオタモイの海岸に「白蛇弁天堂」を建立。その後、10万坪の土地を用意し、「弁天閣」という食堂を設ける。さらに切り立った崖地にトンネルを掘り、楼閣・「龍宮閣」建設が始まる。海上からはしけで資材を搬入、『懸け造り』とも『崖造り』とも呼ばれる建築方法を取ったが大難航をしたという。そして3年がかり、昭和10年にオタモイ遊園はオープンをする。
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写真で見ると、京都・清水寺が海の上にそそり立っているかんじだ。これほど浮世離れをして、且つスケールが大きいものは見たことがない。明治の男はやることが違う。
オタモイ遊園地は道内屈指のレジャー施設として賑わったが、戦争が始まり閉鎖。終戦後、人手に渡っていたが、昭和27年、「龍宮閣」は再開を眼の前に火事に遭ってしまう。海からの強風で建物はメラメラと燃え上がり、消防車が入れるような場所ではないのでみるみるうちに燃え尽きてしまったという。
タクシーの運転手が子供の時に見たという「龍宮閣」は焼ける前の営業休止中の時のものだったようだ。戦時中から10年近くは放置されていたのだ。
「石狩挽歌」に出てくる歌詞、「今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロー」の部分だが作詞のなかにし礼氏は子供時代、小樽で過していたことを著書「兄弟」などに残している。1938年生まれのなかにし氏は8才で満州から小樽に引き上げてきているので、廃墟状態であったオタモイ遊園をナマで見ていてもおかしくはない。その朽ち果てた建物を「ニシン御殿」とし脚色を入れ、詞にしたのではないかと想像する。
なお、オタモイ遊園が出来た1930年代は、北海道もレジャーブームであったようで石狩浜にも大プール、浴場、和洋室、レストランなど兼ね備えた今でいうリゾートホテル「石狩海濱ホテル」が造られている(ちょうど「石狩番屋の湯」があるあたり)。砂丘上に建てられたが、まさに砂上の楼閣であり、オタモイ遊園と共通するファクターは多い。
2010年5月、石狩を訪ねた翌日、路線バスでオタモイを訪ねてみることにした。
前日、18年ぶりに石狩を路線バスで訪ねているがオタモイはこれまで、タクシーとレンタカー利用であったので路線バスは初めてだ。
事前にバスダイヤを調べておいたが、一時間に数本はある密度が高そうな路線である。「おたもい入口」行きか「塩谷海岸」行きのバスに乗車する。どちらも旅情を駆り立ててくれそうな終着名である。
しかし、遊園地があったオタモイ海岸へは手前の「オタモイ団地」で下車をする。また、所要時間も20分弱、これでは「秘境バス」ではなく、嘘つきの卑怯バスになってしまうが仕方ない。
石狩行きと同じ北海道中央バスに乗車。中央バスの本社は札幌ではなく、小樽にある。道央圏に広大な路線を持つ北海道で最大、全国的にも10本の指に入る会社だが、未だに小樽にこだわっているのか札幌へ本社を移設していない。ここの本社建物も小樽を代表する建造物である。
バスは駅前国道5号線沿いから発車するがここが始発ではないようだ。「おたもい入口」行きとあるが駅前からもけっこうな人が乗車する。
国道を余市方面へ向かうが、途中観光スポットのような場所も通らずやや味気ない。長橋中学校の先を右折すると住宅地に入り、道もクネクネしている。これまでもクルマでも通ったことがあるところだ。目的地の「オタモイ団地入口」には呆気なく着いた。老人が数人降りる。
オタモイ海岸入口の標識を見て、酒屋の角を右折。目の前には数えきれないほどの同じ形をした小さな家が並んでいる。斜面にへばりつく様に、緑色をした屋根の家が連なる姿は炭住(炭鉱住宅)のようである。
5年前にクルマでここは通っていたので覚えていたが、近づいてみると誰も住んでいないのだ。ここが「おたもい団地」か。前回来た時は団地の前に商店もあった気がしたが既に閉まっていた。
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団地の前の坂を上る。急ではないがかなり距離がある。やがて、民家が途絶えて登りきると今度は海岸へ降りる下りだ。ヘアピンカーブをいくつか曲がると海岸が見えてきた。バス停から海岸までは20分ぐらいであろうか。
早速、崖伝いに「龍宮閣」の跡地まで歩いてみようと思ったが、何と立ち入り禁止の看板がある。それでも、カップルが歩いて行った。ちょうど草刈をしているおじさんがいたので尋ねてみた。
すると「人が住んでんだから大丈夫なんだろうけどね」。
人が住んでいるとは、「オタモイ延命地蔵尊」というものがあり、そこにはジュースの販売機や土産などを売っている場所である。5年前に訪れた時は管理人のような方が焚き火をしていたので、人が住んでいるとはここのことを言っているのであろう。
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ちょうど草刈をしている場所は、「龍宮閣」へ向かう階段がある場所だった。これまで気付かなかったが、多分草で覆われていたからであろう。遺跡のように顔を出していた。
今回はここで引き上げることにした。
 
戻ってくる途中、おたもいだ団地の上から下を見下ろすと正面にに立派なマンション風の建物が見えた。どうも炭住風の「おたもい団地」の住宅は近代的なサーモン色をした100戸以上ある住宅に移ったようだった。
オタモイ遊園地の痕を見にきたつもりでいたが主のいない桜が満開の市営住宅跡地の方が最後に印象が強烈であった。
この人気のない団地にも「石狩挽歌」のフレーズが似合いそうだと思い、ふたたび小樽行きのバスに乗った。
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