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北海道ローカル路線バスと秘境旅 寿都-島牧・栄浜(ニセコバス)後編

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寿都バスターミナルと寿都劇場
バスは1時間10分で寿都営業所へ到着。栄浜行きのバスまで1時間以上の待ち時間があるので狭い町を歩いてみた。
旧道沿いには「寿都劇場」と壁に書かれた映画館(劇場)を発見した。完全な廃墟であったが、ニシンの千石場所で栄えた頃は大いに賑わったのであろう。寿都はニシン漁に関する遺構が今でも点在しており、寿都湾の東側の歌棄周辺には*「鰊御殿」という名の旅館がある。明治初期に当時の最高級の商家として4年の歳月をかけて建築したもので、釘は1本も使われていない。(*鰊御殿は現在見学のみで旅館営業はしていないようだ)
時間を潰している間、商店でジュースやお菓子を買った。店のおばちゃんがわたしをよそ者だとすぐにわかったようで、「どこから来たのかい? これからどこ行くんだ」と矢継ぎ早に訊かれた。
島牧と告げると、今度は「何しに行くんだい」と、返答に困る質問をしてくる。こちらの話も聞かずに、毎年芸能人がお忍びで食べに来るすし屋があるということで、具体的な名前が出てきた。場所を尋ねたが、夏季のみの営業だということだった。後に島牧でそれらしい店を探してみたが、該当するものが見つからなかった。ウニ丼を食べさせる店は何軒かあるが、漁師町にすし屋は意外と少ない。これは道内の浜(漁師町)に共通する傾向である。
寿都を出たバスは海岸線を淡々と進んでいく。そろそろ西日が傾き、秋の大きな太陽が次第に日本海へ降りて行く。約1時間の乗車で終点の栄浜に到着した。
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上1992年当時の原歌バス停 下は2010年 北海道南西沖地震での津波対策か防波堤ができている
当時の乗り継ぎダイヤを振り返ってみよう。
札幌駅発10:55「高速いわない号」に乗車、岩内着13:23、14:15発寿都営業所行きに乗車15:25着、寿都16:40発栄浜行きに乗車17:35着。記憶に違いがなければこのダイヤで乗り継いだはずだ。
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到着直後の栄浜バス停1992年撮影
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宿泊した温泉旅館 2010年撮影
今宵の宿は栄浜バス停のすぐ隣にあるK温泉旅館である。眼の前が海で、すでに太陽は沈んだが、空全体がオレンジ色に焼けていた。
栄浜は島牧村のどん詰まりのようで、この先には民家は見えず、険しい断崖が続いている。栄浜自体、小さな集落で商店も一軒あるだけであったと記憶している。
K温泉旅館は釣り宿であった。バス停に近いということで、ここを選んだが、当日の宿泊客はわたし一人のみ。若女将と大女将で切り盛りしていたが、漁師の民宿といった風情である。
若女将まだ20代前半、小樽から嫁いで来たという。小樽のような大きな町からここへ来て寂しくないのか質問をしてみた。
「わたし、小さい時から田舎が好きなんです。だからここが合っているみたいです。それとここの温泉がいいんですよ」と訛りのない飾らない口調で答えてきた。
「アトピーがあって、身体が弱かったのですが、ここのお風呂に入ったら全部治って、すごく健康になりました」。
若女将に薦められ、早速、入浴をしてみたが、硫黄臭があり、体中がピリピリする塩辛いお湯だ。旅行で少し日焼けをしていたので、かなり滲みて痛い。それでも、とても気に入ったお湯であった。
料理は素朴な海の幸。食堂のテレビを見ながら、サッポロビールの大瓶を注ぐ。至福な時間である。
翌朝は早朝から叩き起こされた。イカを売る軽トラックが「イカー、イカー!!」と連呼しながらゆっくり走っているのだ。6時頃であったが、浜の朝は早い。イカ売りの声で起されたのはこれが始めてであったが、その後、道内の漁師町に泊まると何度か同じような経験をした。
大女将はあまり喋らず、ぶっきらぼうな印象を受けたが、朝食の際、「秋鮭(アキアジ)、持ってけ」といきなり言われた。
こちらの意思を確認する前から新聞紙に鮭を包んでいる。わたしは家が遠いので、冷凍宅配便で送らないと無理だと告げたが、理解してもらえなかったのか、もう一匹持ってきて、今度は鮮魚用の発泡スチロールケースに入れている。
若女将に事情を説明すると、宅配便を扱っている店が栄浜周辺ではないということで、遡上したばかりの秋鮭は辞退させていただいた。18年前の話だが今ほど物流も発達していなかったのだ。
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温泉のほかにも栄浜地区には霊泉がある 効能は高そうだ
寿都へ戻るバスは8時前に出発をした。この栄浜のバス停から先はバスが走っていない。途中、茂津多岬を挟み、約10キロ瀬棚町(現・せたな町)の須築(すっき)まで路線バスは途絶える。ちょうどこのあたりは、後志支庁と檜山支庁の境であるのだ。
やはり、秘境という言葉が似合う。
帰路は寿都から黒松内経由で長万部行きのバスに乗車。11時頃には長万部駅に到着をした。長万部に降りると都会にかんじた。初めて北海道旅行をした際、長万部で途中下車をして、喫茶店を探したが、見つからず、カルチャーショックを受けた記憶があるが、人間の感性などいいかげんなものである。
18年が経過。2010年7月、栄浜行きに再乗車をした。今回はレンタカーを利用しており、別の所に泊まる用事があるので島牧は立ち寄りなのだ。
最初の予定では黒松内か長万部から寿都行きに乗車し、乗り換えようと計画していたが(つまり1992年の帰路コースの逆を行く)、接続が恐ろしく悪い。参考までにダイヤを紹介しよう。
長万部発950 1550  
黒松内発10171617
寿都着1052 1652
寿都発1325 1705
栄浜着1419 1759
栄浜発1430  1815
寿都着1524 1905
このほか、黒松内発14時10分発のバスもあるが寿都で2時間半以上の待ち時間がある。長万部9時50分に乗れば、栄浜往復ができるが、札幌から車で向かうので朝がえらく早い。次の15時50分では遅すぎる。そこで、考えたのがレンタカーを寿都に置き、栄浜との路線バスで往復をすることに決めた。
札幌を9時頃出発、寿都の食堂で昼食を取り、車はそこに置かせていただいき、13時25分発の栄浜行きに乗車をした。
18年前と同じルートを辿る。風景は変わっていないようでも、道路の拡張や新しいトンネルが掘られて道がよくなっている。寿都・弁慶岬の近くにある風車も18年前にはなかったと記憶している。防波堤や港の整備が進んでいるが、この付近は北海道南西沖地震で大きな津波被害があった場所だ。
村の中心には道の駅「よってけ島牧」が見える。数年前に車で立ち寄ったことがあるが、海鮮バーベキューが食べられる珍しい道の駅だった。追分ソーランラインがこの間、何度か走っているのだが、路線バスから見ると、見え方が違ってくるから面白い。座席の高さ、速度、そして運転をしていないので、自由に外を見ることができる。
栄浜行きのバスは大きな集落がある原歌で全員下車をした。途中、「小田西川」という気になるバス停名があった。道内の路線バスでは「鈴木宅」など個人名のバス停をよく見かけるが、2名分と思われる名前が入っているバス停は初めてだ。
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ユニークなバス停名
14時19分、定刻より少し早く、バスは栄浜に到着をした。運転手に折り返しにまた乗りますと告げ、短い散策に出た。
K温泉旅館は18年前とほぼ同じ姿であった。挨拶したい気持ちもあったが、時間もなく、相手もわたしのことなど覚えていないであろう。あの温泉にはもう一度、入ってみたい気がするが。
実はこのK温泉旅館は少し手前にあるモッタ浜温泉旅館からお湯を引いていることを後から知った。モッタ温泉は最近になって、ヨード分が豊富で、ラジウム含有量では鳥取県の三朝温泉を凌ぎ、日本一ではないかといわれている名湯なのだ。三朝は無色無臭だが、こちらは硫黄臭があり、やや濁りがある。
折角、栄浜まで来て、ひと風呂浴びて、帰りたいが、折り返しのバスは10分少しで発車してしまう。
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栄浜に佇むニセコバス 行きも帰りもここからは乗客ゼロ
車両点検をしていた運転手に「栄浜まで乗る人はいますか」と訊ねてみた。
「休みの日とか温泉入りに、遠くから来る人が乗るみたいだよ」という答え。さらに「お客さんは帰っちゃうのかい」と訊かれた。「寿都にクルマが置いてあるから戻らないと。このバスに乗りたくて来ました」と告げると理解不能そうな顔をされた。余計なことを言ってしまった。
車内に戻ってから詳しく事情を話したが、もの好きと思われたであろう。
14時30分、ふたたびバスは寿都へ戻って行った。
島牧村の人口は現在、2千人を切っている。栄浜まで向かうバスが何時まで走り続けることができるのか気になるところだ。18年前は海岸沿いの道を頬被りした老婆が歩く姿を何人か見かけたが、今回はお目にかかれなかった。
このまま住民が減り続ければ、「秘境」の存在自体、危うくなってしまう。道の駅の名前ではないが、「よってけ島牧」と言いたい。
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