ドライブイン時代の終焉

ドライブイン時代の終焉

北海道新聞によれば道内ドライブイン大手、オホーツク観光が運営していたドライブイン5店(上富良野町「想い出のふらの」、千歳市「千歳道産市場」、北見市「オホーツク観光物産本店」、網走市「網走海鮮市場」、斜里町「知床さいはて市場」)が、11月末で閉鎖すると伝えている。同社は2015年にファンドに売却、店舗では団体旅行向けに土産販売や食事提供を続けてきたが、観光客の個人旅行へのシフトで経営不振から脱しきれず、ファンド側が閉鎖を決めたという。

かつてドライブインは車やバスで長距離移動する際、なくてはならないものであった。国道や街道筋に大型駐車場を用意し、食堂や土産物店を完備、ここで休憩をして次の目的地に向かったものである。
東映映画「トラック野郎」で登場するようなトラックドライバー御用達の硬派なものから大型観光バスが中心の観光的な要素が多いものなどタイプも分かれており、何十台の自動販売機だけが並ぶ無人型のものもあったと記憶している。

私が小学校1年生の時、両親と西武観光のスキーツアーで苗場スキー場まで半夜行バスで行ったことがある。当時は関越道もなく、国道17号線を北上、前橋付近には多くのドライブインのネオンが輝いており、深夜、眠い目を擦りながらジュースを飲んだ記憶があるが、スキーへ行く若者たちがジュークボックスに群がっていたことを覚えている。同じ頃、山中湖へ行くバスに乗った時も、まだ中央高速が全通しておらず、八王子あたりのドライブインで休憩、観光地へつながる道の宿場町のような所に多くのドライブインがあったようである。

モータリゼーションの発達と共に発展して行ったドライブインであるが、1980年代になると高速道路網が飛躍的に発達、主要国道に代わって高速道路が長距離移動の主役になってくる。高速道路のサービスエリアやパーキングエリアがドライブインの代わりとなり、その頃からドライブインの淘汰が始まって行った。

1990年代になると一般道に「道の駅」が登場、80年代から既にファミレスも増えており、古びた施設が増えてきたドライブインにとっては大打撃となった。さらに大型駐車場を完備したコンビニが登場した頃から店舗が激減しはじめたと記憶している(ドライブインだけではなく、街道沿いの一般の飲食店も死に体状態に)。

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現在、食事提供が中心のドライブインは高速道路の延伸や道の駅、コンビニによって絶滅に近い状態だが、土産物などを扱う観光バス相手のものは数は減らしたが、健在なものも多く、バスツアーが盛んな北海道では幅を利かせていた。
旅行会社とドライブインが契約、パックツアー客を中心にやっていたが、最近は規制強化による貸切バス料金の値上げや運転手不足などで貸切バスを使ったツアーが減少。国内客に代わり、頼みの綱であった海外観光客も個人旅行が増えて、バックマージンも減っているであろう。

ドライブインは道の駅やマルシェ型の新形態の体験型施設に喰われた感があるが、北海道・長万部周辺の国道5号沿いにはカニが人気のドライブインが数軒健在である。こちらは函館と札幌方面を結ぶ定番黄金ルートの途中にあり、知名度も高いのでまだ安泰かもしれない。

観光型ドライブインの終焉は、今も団体に依存をしている大型温泉ホテルなどと構造が似ており、他人事ではないのではないか。観光形態がじわじわ変わりはじめているようである。

既に昭和の遺産であるかもしれないドライブイン。私がカラオケでたまに唄う曲で「ヘッドライト」というドライブインが登場するものがある。1977年新沼謙治のヒット曲であるが、作詞は阿久悠。北へ逃避行する男女の物語だが、2番の詩で

夜が明けたら ドライブインでからだあたためてくれる お茶をのもうよ」という部分が想像を駆り立ててくれる。場面は国道4号線を連想するが、サービスエリアでは呆気らかんで味気ないような気がするが。

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